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F2進化系 体験
記録者:T.SAKAI
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月) 夜
F基礎T、F基礎U、FU応用
今日、初めておこなった(*F基礎2応用)この感覚を言葉にしようと思う。前の
人のリズムや言葉の感じをそのまま受けたことを発語するのではなく、「ずら
すこと」を意識してみた。同調して創るのではなく自分という存在がそこにある
という存在感が必要だ。
今回は、差違化ははかれても、違うように発語しようと意識し過ぎたとき、発
語の言葉が身体を通っていないうすっぺらな言葉になって「すか」した、と感じ
るときもあった。
終わった後、林さんより指摘を受けたように「沈黙の間の力」に依拠できなか
った。どこかで、沈黙が続くことを自分が恐れた?嫌。続くことを望まない自分
がいた。それは、恐れたことだったのか?次回試してみたい。
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繋がっている身体
記録者:M.NAKAMURA
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月) 夜
F基礎T、F基礎U、FU応用
最近ようやく、面白いと感じる瞬間に出会えた気がする。身体って繋がってい
るんだと意識したのも実はここ最近のこと。きっとまだ意識していない筋も筋
肉もたくさんあるはずで、WSはそれを一つ一つ掘り起こしていく場なのかなと
思う。
今までは、もっと重心を下げたほうが良いんだろうなと思っても、痛めやすい
膝にあまり負担を掛けないようにと過剰にセーブしていたところがあった。そ
れが、加減しようとする意識とは別に身体はもっと動きたがっているということ
を初めて感じた。そんなやわじゃねえよ、もっと動けよと自分の身体に言われ
ているような不思議な感覚。初めてのこと。
F基礎Uでは、空気の動きが見えたような気がした。重くなったり、ざわついた
り、軽くなったり濃密になる瞬間も。「空気を読む」というのは的を射ているの
だなと思う。
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制限や障害の中での表現
記録者:Y.TOMINAGA
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月) 夜
F基礎T、F基礎U、FU応用
腰を痛めた身体、不自由な状態での初のF基礎2体験。身体に負荷をかけら
れない分、流れ、意図、その空間における4人の存在にいつもより感覚を敏
感にして取り組みました。
Fサークルなどに比べて制限させる事が多い中で、どれだけ4人でその空間
を維持させるかが鍵だと思うのですが、最近はどうも個人の中でそれが少し
パターン化してきてしまっている傾向にある気がしました。
先頭の発語者が放った言葉をただ同じリズムやテンポで回すのだけでは無
く、もっと同じニュアンスの中でも「ずらし」や「強弱」を使った違ったアプローチ
があるのでは無いかと思います。それが今回は少し単調になってしまい、4人
で循環しているというよりは1周ごとにまた作り直すという作業が多くなってし
まっていた様に思えました。
そんな慣れを感じた後のFU応用。
今回が自他共に初体験だったF基礎U応用。明確には分からないですが、F
基礎2応用という名前となってはいますがやっている事はF基礎2とFエチュー
ドの中間なんだろうと感じました。その場から抜けられないという面でFエチュ
ードより全体で常にその場を維持しなくてはいけないし、テキスト自体も短く展
開が速い為、瞬時にその場の自分の存在の仕方を判断していかなくてはなら
ない。
これは外から見ていて面白かったです。というのは身体の素直な反応を見ら
れたからだと思います。新たなものへの不安、困惑、違和感などを持っている
状態だと、その人の生の部分がもの凄く出てきます。それは作品として成り立
つ物では無いですが、先に言った「慣れ」てしまっている自分に気づき、そこか
ら思考し先に進むというプロセスとしてはかなり効果的だと思いました。
そして自分自身新たな「故障した身体」と向き合わされた今、似たような状況
に置かれています。林さんが制限や障害の中での表現に注目してるとの事を
言っていましたが、実際にその状況におかれてみると、それはまるで言葉を
奪われた世界の様だと思いました。自分の思い通りに表現出来ない世界。そ
の世界はまさに不安、困惑、苦悩の世界ですが、逆に思い通りに出来ないが
故の悔しさ、欲求が物凄く大きい世界だと知りました。その力をどう表現に連
結させていくか…しばらくの間大きな自分の課題になりそうです。
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ファリファリの基本運動(エネルギーの循環運動)
記録者:K.KUWAHARA
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月) 夜
ファリファリの基本運動
回転の動きは、円錐形。
ネジに似ている。
右、左と回転をするたびに、螺旋模様のネジが、大地に深く潜っていく。
同じ方向ではなく、交互に回転するので、ネジは一回ずつ、確実に潜る。
深く、深く、木が根を張るように。
根を張った分、地上の身体は自由になる。
安定しながらも、自由になる。
やがて、根は地球の核(コア)まで伸びる。
自分の意識の底まで潜る。
そこから、汲み上げる。
そして、組み上げる。
F基礎T
目の前の空間に、様々な形をしたモノが、無数に漂い、動いている。
それは、丸であったり、三角形に近かったり、いくつものパターンがある。
テレビのノイズのように、細かい。
色はあるようだが、ハッキリとはしていない。
だが、空間のあらゆる場所に漂っている。
それらは常に流動し、時に固まり、時に離れる。
それは、(おそらく)空間を構成している素粒子。
それは自分自身の身体や、他の人々の身体をも構成している。
他人も、自分も、壁も、空気も、全ては同じ素粒子から創られている。
我々をカタチにしているのは、同じモノだ。
ならば、自分と相手はひとつになれる。
自分と空間はひとつになれる。
自分は、繋がっている。
自分は世界の一部。
ファリファリを行っている時、そんなイメージが頭に浮かんだ。
F2基礎の初めての変形版
最初の立ち位置は、正面向きであるが、四人ともバラバラ。「すばらしいわ」
「こわいわ」「どうしたのさ」「こわれちまいそう」を順番に繋いでいく。何度も何
度も使ってきた、このフレーズ。今までは四人で言葉を循環させ、エネルギー
を積み重ね、その円環から生まれるパワー(流れ)を、時に押さえ込み、時に
開放することで内部の圧力を高めてきた。つまり、リズムが必要となってくる。
例えるなら車のエンジンのように、循環の速度をどんどん高めていくには、そ
れぞれのエネルギーの受け渡しが円滑でなければならないからだ。
が、今回はそのリズムが無い。
ひとつひとつのフレーズの間(ま)は、自由に取れる。リズムを作るのが、すで
に条件反射に近くなっているので、ともすると「キレイに」入ってしまいそうにな
る。そこで、間を取る。そればかりでも単調なので、時折従来のリズムを組み
込んでみる。上手くいかない。
四人の戸惑いが、外側からはよく見えたことだろう。一度、窮屈になるくらいま
で、長く間をとってみたら、自分の順番を忘れたと思われたらしく、前のフレー
ズをもう一回言われてしまった。それとも、それだけ重圧がきつかったというこ
とだろうか。
このスタイルでは、沈黙の時間の中に、いかに存在するかが重要になるので
はないだろうか?スローにもなれる。従来のリズムにも一瞬で戻れる、危うい
立ち位置に居続けなければならないのではないだろうか。
F基礎Uの「基礎」と言える、今まで行ってきた地盤があるからこそ、それを崩
したとき、新たな空間が現出する可能性があるのかもしれない。
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「もっと自己開示を」 3月19日体験記
記録者:N.WAKABAYAHI
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2007年3月19日(月) 夜
普段私たちは自分の弱みや、嫌な面を他人の前では見せまいとすることが多
い。長い体験の中で、他人に話したことで被害を受けたり、傷ついたりした経
験をもつから、よけいにそういう傾向になりがちで、抑圧した内面を持つことに
なる。ワークショップで表現する時は、敢えてここに光を当てて意識すれば演
技の幅が広がるし、自分の浄化にもつながる事を発見した。
相手と即興で対峙するときは、自分を自己開示して全部をさらけ出す訓練を
する。相手を無条件に受容する事も意識してやってみたい。自分の中から何
がでてくるか怖い気もするけれど、人間の本性の怖さや、心の闇を表現できリ
アル感が出せるかもしれないと思っています。相手の声を理解して、自分の
言葉をよく聴いて、身体から沸き出た言葉を発語したい。心の領域で、自分
が「隠した領域」を開示して、自分では「気ずかなかった領域」を発見したいと
思っている。
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相手が私を構成する
記録者:K.YABE
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2007年3月22日(木) 夜
F基礎T、F基礎U
F基礎Tをやっていたら、バランスを崩してしまった。バランスを崩した身体。
意識の支配から完全に外れた状態。私はすぐにバランスを崩す前の状態に
直してしまった。自分の意識を外した状態で続けることに一瞬恐怖を感じた。
何をしでかすか分からない恐怖。そこから生まれる身体はどんな出会いをも
たらすのか‥?
かみ合わなければかみ合わないほど相手を見るようになる。今仕掛けて大丈
夫か?今動いたら関係が止まってしまうのではないか?それは今相手の中で
何が起こっているかを見ようとしているのだろうか?
こう動いたら相手はどう動くだろう?前回組んだ相手と同じような動きをしてい
ることに気付いた。相手と出会う。相手が私を構成する。同じように私が相手
を構成する。
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道楽者ノススメ
記録者:T.SATOH
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2007年3月22日(木) 夜
ファリファリは自分(場合によっては相手)との対話である。
内なる「私」と気、間合い等をはかり、昇華させる。その為、表面上だけの浅
いレベルではその入口にすら到達できない。だからこそ日々の鍛練を欠かす
事ができないのだが、学問の様に反復すれば目に見えて上達するという事は
ない。故に基本的な段階で躓きがちなのだが、目に見えずとも身体は何かを
感じているのだろう、突然、「私」が爆発する瞬間がある。また、その状態が自
分の意思である程度自由に操作できる段階に至ると、「私」が様々な顔をみ
せる。
それは最早鍛練というよりも、いい意味で、〈道楽〉に近いものを感じる。一般
的に道楽というと悪い意味合いが強いが、ここでの〈道楽〉は≪心身共に自由
で且つのびやかである≫と捉えるとする。道楽だからこそ鍛練では発露しえな
い感情や動きがあるのではないだろうか。それは他人にとっては価値のない
ものだとしても、当人にとっては価値があるものだろう。
その価値を見出だす事によって表現の強さが生まれ、何かを感じさせる力へ
と繋がっていくのではないかと思う。
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