|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2006年4月23日(月)夜
記録者:K.YABE
〈内容〉
・ストレッチ
・FT(基本運動 対面して交差)
・お話
・言葉を聞いて身体表現
・FT
反射神経で動くのではなく、外すことも考える。常に思考する。同じ動き、動き
やすいところに逃げない。慣れは考えることを停止させてしまう。
言葉を聞いて身体表現
ただ手を伸ばすだけでなく力をいれてみる。言葉(音)をよく聞いて動く。話す
側も動く側の身体を動かすように言葉を話す。
〈感想〉
私は動くふりをしている気がする。頭では理解しているつもりが体がついてこ
ない。楽な所、楽な所に体をもっていってしまう。その先には何もないのに。今
まで何をやってきたか?これから何をするのか?振り返り、先を見つめること
がこの一年の課題になるかもしれない。
〈お話〉
識想行空。仏教の言葉で五感すべてで空間を認識し、考え、行動する。識‥
空間を認識。想‥考える。行‥行動する。空‥無、ゼロ。
今日本に伝わっている仏教は本来のインドの仏教とは違って伝えられた。私
達が仏教と呼んでいるものは釈迦の仏教ではない。なぜ変化したか?そもそ
も仏教は飛鳥・天平時代に伝えられ、鎮護国家(支配者のためのもの)の効
用が強調された。インドの仏教は葬儀やお墓はない。さらには偶像崇拝すら
ない。像を作りだしたのはギリシャ人(一説によるとアレクサンダー大王の遠
征で北部インドに残ったギリシア人の末裔により造形された。。。ガンダーラ
美術)だった。
ここで私は疑問に思う。果たして私達が認識している事柄は「本当」なのか?
私達は知っている気になっているのではないか?恐いのは本来の姿も分から
ずにあたかも本物だと思ってしまうことだ。それが正しいと思ってしまうことだ。
何かがおかしい。何かがズレている。
|
|
|
|
|
ワークショップ体験記(参加後一ヶ月を経て)
記録者:T.KISHI
三月からの体験参加含め約一ヶ月間のWSを通して、学生時とは「密度」が
違うと感じた。
一日一日新しい発見があるし、日々上達(微々たるものですが…)を感じる事
ができる。きっとようやくファリファリ(F式訓練)、Fメソッドの入口に立てたの
かもしれないなと思う。まず「感じる」事。自分自身、相手、空気等々…。そし
て「接続」。意識と身体、自分と相手、自分と外側の「世界」とを。心臓は意識
せずとも「動いて」いる。そして五体は意識のもと「動かして」いる。それを大事
に自分で「動かす」。意識により身体を日常の連続性から解放する。そこから
初めて「表現」が産まれるのだと思う。
まだまだ「自分」を知りたい。もっと「世界」と繋がりたい。そういった欲求がF
(フリー)な世界を求め、身体をどんどん解き放っていくようだ。
まだ入口、されど入口。ここが基盤になっていくであろうから、学び残しの無い
よう、出来るだけ多くを吸収し、いつか「演劇」と「世界」を繋げたい。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2006年5月8日(月)夜
記録者:N.WAKABAYASHI
「林英樹語録」
(1)スポーツではない。
(2)負荷をかける事で、自由になる。
(3)内面の自分を探りながら,対話しながら、外に向かって表現する。
(4)両義性、往ったり復たりの交流、皮と肉との紙一重の感覚を磨く。
(5)言葉を意識的につかまえる。
(1)スポーツではない。
演劇の表現形式としての身体活動は,スポーツではない。演技は形而上的に
捉えて表現された,深い精神性が感じられるものでなければならない。演技者
はそのために豊かな想像力が必要になる。
(2)負荷をかける事で自由になる
身体は,自然に任せると楽な方へ楽な方へと動くようになる。楽な方へ行かな
いように負荷をかけてエネルギーを蓄える。負荷のかかった姿勢で、それを
超えた時に自由になる。精神的にも、敢えて負荷や枠組みをはめて、大きい
負荷を抱えたままで表現する。溜めをつくって普通の動きをする。それを克服
できた時に自由を自覚できる。
(3)内面の自分を探りながら対話しながら、外に向かって表現する表現してい
る時は,内面の自分を見つけながら,相手を感じながら外に向かって表現する。
内面がスカスカにならない事が大切。それによって本人の個性が表現出来
る。
(4)両義性往ったり復たりの交流、皮と肉との紙一重の感覚を磨く二者択一
の、どちらか一方をとって表現するのではなく、反対概念が両方とも意味を持
ってくることがある。両方が螺旋状に関わりあって渦巻きのように前に進んで
いく。「前に進んだり,後退したりしながら前に進む」「右に行ったり左に行ったり
しながら前に進む」「良いは、悪いで。悪いは良い」と言うような紙一重の微妙
な感覚を磨く。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年5月18日(木)夜
記録者:M.TUCHIDA
今日のワークショップは、久しぶりにコアな部分をやる。
身体の衝動に任せる、最近やっていなかったせいか、なかなか思考が外れな
い。その時の自分を少し外から見てしまう。感覚と思考のバランスを取ること
が難しい。感覚だけだと、意味をなさなくなってくる。思考だけだと、段取りに
近くなっていく、、、バランス的にベストなのは感覚と思考が、半々よりも少し感
覚寄りなのかなと。
Fメソッドが、という訳ではないんですが、〈感じる〉〈考える〉という行為は人が
生きていく中で重要な部分を占めていて、今の日本は〈考える〉方に偏りすぎ
ていて、感じにくい、感じられない構造になっているというか……。いや、むし
ろ考えられてさえいない?
小学生の頃はたくさんの事を感じていたハズがいつからか感じないようになっ
て(して)いました。だから、WSは昔の感覚を思い出すというか、原点復帰に
近いです。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2006年5月29日(月)夜
記録者:T.KISHI
今日の内容
ストレッチ→筋トレ→基本運動→二人一組での基本運動
休憩
強化発声→メタフィジカル的に身体を動かす(語りと動きをわけて)
基本運動、上半身と下半身を分断し、足元からのエネルギーを上体へ柔らか
く流し、指先から突き抜けるように。しっかりと腰を入れ下半身は「強く」。負荷
をかける。地面に吸い付くように。
言葉を受けての「形而上的動作表現」。まずはテキストと向き合う(テキストを
読み込み、深く理解)。そこから必ず「思考」を通して動く。あまり説明的になら
ないように。また中途半端に動くより、動かずオブジェのようにたたずまいでみ
せるのも有り。
「形而上的動作表現」にて、どうも思考と身体が上手く繋がらない。「表現」とし
て成立させる事が出来ていない。どうしてもフィジカルが先行してしまう。まだ
まだまだ…学ぶべきは無数とあり、途方もないが、またそれが単純に楽しくも
ある。
「一生勉強」
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年6月1日(木)夜
記録者:H.TOMINAGA
トレーニング内容
●ストレッチ、筋トレ、発声
●Fコア
●Fサークル
●Fエチュード
空問に入った一人一人が空間を支えるエネルギーを持ち、一種の「力場」を
作り上げていくFサークル。
そして一人一人が空間のパーツになり、より精密な空間を作り上げていくFエ
チュード。
Fサークルと比べ個人の意図を強く出す事が出来るがゆえに個々人が空間を
共有する意識も更に強く持っ必要があるのがFエチュードだと思います。
今回はその空間内での意思疎通が上手くいってなかったのではと思いまし
た。場が変化をしようとしている時に安易な動きをしてしまったり、個人の意図
の出し合いがかみ合わず場が崩れるというシーンがいくつかあった気がしまし
た。原因は判断力だったり想像力の差だったりとあると思いますが、自分の
場合、判断力の不足から自分が動くべき瞬問に役割を果たせないという事が
多かったと感じています。
今、頭の中では自由であるはずと分かっている場で不自由さの方が強く感じ
てしまっている自分がいます。伝えたい事があるのに言語を知らない為にそ
れが伝えられない赤子の様なもどかしさ。しかしその壁を破る事が出来れば
世界が広がるのだと恩います。まずは自分の課題を一つ一つクリアしてその
世界に近づきたいと思います。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年6月15日(木)夜
記録者:A.KOYAKUMARU
3ヶ月振りのワークショップ。身体は鈍りきっていた。柔軟・筋トレで思うように
身体を動かせない。頭に入っていた筈の台詞も、ヨカナーン(サロメ)ぐらいし
かまともに言えなかった。言葉が詰まれば気持ちも詰まる。無駄な抵抗はせ
ず、使えるものを使った。情けない…。
久し振りにお会いした林さんの体調が悪く、心配になった。代わりに先輩方が
ワークショップを進めた。今回は合同ワークショップだったので、いつもより人
が多い。中には初めて見る方も。新メンバーさん?初めまして。
内容としては基本的なことが主だった気がする。久々参加の身としてはラッキ
ーだったか?いやいや。あの広さは初めてだったので、自分が何処にいるの
か見失いそうだった。周りとの距離が遠く思えて、自分は今どの場所で、見て
いる側からはどう映っているのが不安になった。
まぁ、反省は毎度のことで。
それより、やっぱり最終的には何と言うか…気持ちいい、のだ。3ヶ月分の心
の何かを解放するかのように声を発し、身体を動かしていた。本性のようなも
のがチラチラと顔を覗かせる感覚は、危ういがやめられない。
危うい。
生きているものなら、誰もが持っているのだろうか。自分でさえ操れない、内
面のもっと奥の方で渦巻く、モノ。特に感情ばかりが発達してしまった人間は。
と、ここで話題は今回のワークショップからズレて行く…。
突然だが、人が人を殺めてしまう時、加害者の中では何が起きているのだろ
う。そのアブナイモノが暴走でもするのだろうか。我が子が気に入らないストレ
スから、殺害へ。親がウザいから、殺害へ。数年前から、いや、もしかしたらも
っと前から起きていたかも知れない「キレる」という現象。今起きている事件た
ちは、その進化形?確かにそれ以外の報道も流れているが、私には最近増
えつつある「子が親を・親が子を」という事件の方が気になる。
これはあくまで私の推測でしかないが、彼らの頭は「簡単」になっていたので
はないか。「あ。やだ。殺そう…」のように。
よく言う、カッとなったとか魔が差したとはまた違う、衝動。時間をかけた長文
メールを、送信ボタンでポンと送るかのように。それまでに溜めてきた不満や
育ってきた殺意を、何らかのスイッチで…。
そこに理性は無いのか。理性も使い方を知らなければ無いのと同じだ。
彼らは、自分が可哀想に思えて仕方なくて。自分の居る場所から逃れたくて。
どうしていいか判らなくなって。自分から消えるのは恐いから、コイツが消えれ
ば…消してしまえ、と?
以前ある番組で、人を殺すことの何がいけないの?と問う学生がいた。法律
で決まっているから?と付け加えた。彼は、例え自分が誰かの命を奪うことに
なっても、何も感じないと思うとも言っていた。その時、私が感じたのは違和
感。何故、敢えてそんな言い方をするのだろう。まるで自己暗示しているみた
いだった。生きることはつまらない。夢なんか無い。殺人を犯しても何も思わ
ない。だって自分は感情欠落者だから。
…嘘に聞こえた。何も思わない自分を感じているじゃないか。
そうやって心を閉ざして、欠落者のフリをして、自分を守っている。ストレスや
不満に負けてしまわないように。きっと彼には、それが生きる為の一番易しい
選択だったのかも知れない。
増える少年犯罪に必要な材料は、幼さと簡略化していく文化だろうか。
そして大人になれないオトナが我が子を虐め、殺している。躾だった。死ぬと
は思わなかったと言い訳をして。それもまた自分を守る為の嘘なら、彼らは親
ではなくコドモで、誰からも何からもきっと一生赦されない。簡単な衝動で罪を
犯した少年達も、同じだ。
嫌なものは、本当に消してしまえるか。存在が無くなれば、それで終わるの
か。ココロは殺せるか。
こういった話題は、考え出したらキリがない。気付けば、まとまりもなくこんな
長文に…(汗)他にも思うことは色々ありますが、そろそろ終わりたいと思いま
す。あぁ、コレも送る時はボタンをポチッ…か。便利で恐ろしい世の中になりま
したね。初めて自分の「最近思うこと」が誰かの目に入るので、結構緊張で
す。コヤクマルはこんな考え方もする人間です(笑)
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年6月29日(木)夜
記録者:H.SANO
◆ストレッチ・筋トレ後、基本運動。梅雨明け間近?の6月末、気温は上昇。
今日は気のせいか身体が柔らかくなったような…。柔軟するにはもってこいの
季節がやってくる。後、2人組基本運動×2回。
◆ノンストップで空間構成×2回に続く。
自分自身の「能動的・受動的クセ」を知り、その逆をやってみる、向かっていく
…!!
◆休憩。
……………暑い。。。
クーラーなしでどこまでいけるか!?
◆ラスト。テキスト(『自由の国のイフィゲーニエ』/フォルカー・ブラウン)使用。
自分としては素直に動けたと思うが、初めてのテキストだったためか、少なか
らず戸惑い・疑問・不自由さがまとわりつくように感じた。
◆…何においても「もっともっと」。
◆改めまして、皆さん、試演会お疲れ様でした。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年7月13日(木)夜
記録者:M.TUCHIDA
初めて[F・インプロビゼーション]をやった。
観ている側の読むテキストを受けて、文章の中の単語や文節他から、考え・
感じて会話をしていく。。。ex:「明日」…明日行くんだよ。どこに?明日…。どこ
に行くんだよ。あした…あ.し.た…し.た…下に行くんだよ。。。
日本語ほど同音異義語のある言語はないという…。瞬間瞬間で自由自在に
変化する音声・意味・言葉(単語や文章)の繋がりと断ち切り。連想ゲームのよ
うな、固定観念・主観のズレと不思議さ。とあるキーワードをきっかけに、激し
く時に静まる感情。個人的にはとても楽しかったし、難しくもあった。感じなが
ら聞きながら考えながら…。“会話”するという、それが成立しきっていてもい
なくても、そこに面白味や不快感を感じる空間……。
座って観ていると、その人の過去に読んだ本や、今までに得た言葉や知識の
片鱗・断片がみえた気がした。
自分が次にやるときは、身体をもっと刺激してみようと思う。先輩方をみてい
るとそうだし、きっと受ける言葉に加えて、身体から出てくるモノも何かある気
がする…。
そして……
【演劇のコンビニ化】…非常に衝撃的な言葉だった。。。情報化社会でそれこ
そ今やネットにあふれている戯曲は、買い手を待ちわびる商品か。50ポイント
ためたら役が貰え、300ポイントためたら板の上に立てるのか。
スローフード!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(佐野晴香 記)
今日、新しく即興的な稽古を行った。メインは、「考える」事。身体表現もだ
が、言葉(セリフ)は自分で考えて発語していく。
やってみて気付く、セリフを言う時に如何に自分が言葉として考えれていない
かが。「歩く」等々、普段意識せず行っている事を、意識して行う事がこれほど
までに足枷に感じるのか。ある種の麻痺?新鮮ではなくなってしまった事に対
する慣れ?なのかも。
しかし、新鮮さを全く感じない事に違った形でアプローチをしていくと、また新し
く新鮮を感じる事が出来る。
初めて「歩く」ということを知った時の自分はどうだったのだろうか?きっと楽し
そうな表情を浮かべていただろう。それと共に世界が広がり、また別の「新し
い」を見つけていただろう。
今、改めて歩き、考え、見て、聞いて、味わって、感じてみたい。子供の頃に
感じていた気持ちを取り戻せそうな気がする。「新しい」「発見」 置いてきたも
のを拾い直す行為なのかも?上手く言葉に出来ないけど、これから自分が
「発見」するのは「再発見」であり、自分を固めて行くものな気がする。良きも
悪くも。
その再発見の瞬間瞬間に新しく出会えるよう、稽古にも日常にも臨んでいこ
う。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2006年7月17日(月)夜
記録者:T.KISHI
ストレッチで身体をほぐした後、F基礎発語、基本テクストを使用し、さらに身
体、と共に精神をほぐす。その後、流山児事務所の公演『無頼漢』のお話。現
在の「保守」的演劇の世界を見て寺山氏は何を想うか?…「頼り無いなぁ…」
なんて皮肉を思った。
次にF基礎2。まずはトップへ持っていく、身体から仕掛けていく。空間を使い
だしてからの展開がどうも…考え過ぎた結果が視野に靄をかける(自分が「素
晴らしいわ」の時何度も江口さんに助けられた)。
今はまだ、もっとフィジカルにいった方が拓けそうだ。
それから、外部からのテキストをうけての即興的発語。「ただ反射神経で動い
ていたら蛾と同じだ」。何度か蛾になってしまう。言葉の薄さか、即興での会話
となると「日常会話」が出来なくなる。「岸」という人間は日常の会話の中で思
考していないのかもしれない。というよりは、「言葉」をつぎはぎして、まるで「暗
号」のやりとりしかしていないのか。「表現者・岸」となった時に丸裸になる。も
っと書を読まなくては…。
言葉を「遊ぶ」くらいの余裕をもって臨みたい。
今日林さんの発言で、「蛾」の話(数言だが…。灯りを見ると反射神経的に寄
って来る習性)がいたく気に入った。蛾は蛾だが「我」でもある。我をもった虫
「蛾」、明かりに集まるその姿が「役者」に重なり、なとも滑稽であると同時に、
思考無き「役者もどき」が殺虫ライトで痛い目をみる。ちょっと恐くも思った今
日だった。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2006年7月25日(火)夜
記録者:T.NAKA
内容
ストレッチで体をほぐし、林さんの話(内容、感想は後に)
F基本発語、F基本運動、FサークルにFエチュードを一気にやる。
継続のない稽古に力は宿らない。
一つ一つを確かめながら稽古に臨む。
Fメソッドを稽古するにあたって、最初に林さんに何を言われたか?今林さん
が指導してくださる言葉と繋げながら、今と昔を繋げる。
足、腰、声、立つ場所、空間、音、他者、そして…己。
意識点が広がり、そして還り、また繋がる。
繋がる?
これがファリファリ(F式訓練)なのだろうか?僕には未だに出せる答えが見つ
からない。
うーん…未熟者だなぁ。
林さんの話;〈ペルソナ〉について。
他者から自己を守るための仮面、自分でさえ素顔と仮面の境界が定まらない
もの。自己が創り出したモノだけれども決してウソではないもの。
恐らくヒトをヒトたらしめているのは〈ペルソナ〉なのだろう。
本能や衝動を抑えて、違う表情や行動をとる。
そこに理性が生まれてヒトになったのではなかろうか?
無数の層になっている仮面の下にあるのは只の猿の顔なのかもしれない。
だが板(舞台)の上に立つことはその素顔の猿がもつ本能的な、体の内の内
から湧き出るものがなければならないような気がした。
…今度猿を見に行こうか?
もしかしたら自分の素顔が見られるかもしれない。
|
|
|
|
|
ファクトリー活動記録
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2006年9月26日(月)夜
記録者:T.NAKA
今回は訓練の合間に「芝居」の言語表現の成り立ちとその違いについての話
があった。
プレイ…遊戯性、比較的新しい用語。
ドラマ…「対話」による対立・衝突 ※『問答法』による答え※ヨーロッパ哲学的
思考。対義語…『禅問答』
スペクタル…「観る」行為そのもの、見世物的な意味合い。
シアター…劇場、演じられている〈場〉そのもの。
我々が目指しているのは〈シアター〉、全ての人が参加しうる「演劇的場」であ
る。
(ここからは自分の感想)
昨今の芝居は殆どと言っても良いほど「スペクタル」的であり、ただ観客は「観
る」だけであって思考を介しての理解や更なる思考を行わない。演者もまた同
様に…。いや、思えば今の日本人の全てがそうなのだろう。新聞、テレビ、イ
ンターネット等の情報源の表面を字面でなぞるだけで疑わず、そればかりか
目の前に居る人間との対話でさえ何処か稀薄で“奥”を見ていない気さえす
る。何事に対しても「傍観者」な日本人。政治主権を所有してるにも関わらず
参加しない国民。
隣国で自国を揺るがす大事件が起きているにも関わらず対策を取らない政
治家。事件が起こらないと動かない警官。
いつまで観ているのだろうか?事件が彼らを巻き込んだ時、決まって口に出
す言葉は‐まさかこんなことになるなんて…‐、目の前で起きている事件は既
に観ている彼らをも巻き込んでいるのだ。
“こちら側”と“あちら側”なんて言う隔たりなんかありはしない。ただ同じ場に
人と人が居て、事件は常にその場で共有しているのである。
どうすれば気付くだろう?
どうすれば考えるだろう?
どうすれば感じるだろう?
どうすれば共有出来るだろう?
例えば僕が本物の爆弾を抱えて舞台に立てば、
例えば僕が舞台上で本当に死ねば、
恐らく彼らは傍観出来なくなる。
まぁ勿論それは出来ない相談だが(笑)それだけの事件性をもつことが今の
役者には必要なのだろう。
‐大変だなぁ‐
と思わず傍観的な思考が走るのを抑えつつ、明日も稽古に励む日本人の名
嘉でした。
|
|
|