演劇ワークショップ2005年度前期
*註:稽古場内で「ファリファリ」の愛称で呼称されていた訓練法は、
2007年度より「Fメソッド」と正式命名いたしました。
ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2005年4月25日(月)夜
記録者:T.SAKAI


試演会のこともそうだが、最近強く求められているのは「創造力」だ。この日の ワークの中でも印象的なのは「おい」のペアと「すばらしいは」のペアで空間を 成立させるワークだ。このワークは今までもあるが、この日さらに相手ペアと 差異化を図ることで空間を成立させるよう求められたことだ。自分達ペアへ意 識が行き過ぎると相手ペアへの意識が薄くなるし、相手ペアを意識していると 同じような動きや声の調子となり林さんから「はい、そこまで、パンパン」の手 拍子がでることとなる。一体どうすりゃいいんだと考えているうちに手拍子がな る。両方を満たせていくには、まだまだ足りない。この創造性は学んでいける ものなのだろうか?いい演劇や音楽に触れること?創造的な場に身を置くこ と?現場は創造性とは遠く離れた方へいこうとしているが、だからこそ遊びや 笑いが有効だと思う。太田 堯氏が「教育はアートだ」と言ったがきっとそうな んだ。仕事の中でも一瞬一瞬の計算されたひらめきを発揮する真剣勝負の 場はあるんだ。
いかにこの創造性は高めていくことが出来るのだろうか?

この日、林さんが話した西洋は信仰のあるなしにかかわらず、キリスト教の神 の前に自分をどう律するか、つまり自律の世界であるのにないし、日本は八 百万の神々の他律の世界・・・。ちょうど読み終えたp・ルジャンドルの「西洋が 西洋について見ないでいること」の中にも似た様なことが書かれていた。西洋 はキリスト教とローマ法を元にした文化である・・・。

今、考えていることは、だとすると、日本は日本で見ないでいること、見ようとし ないことがあるのではないか。それを我が身を通して表現できれば、それは 社会の問いかけになりうるのではないかと・・・自分を掘り下げていくことと、課 題への探求をどう創造的につなげられるか、模索は続く。多分、ずっと。。。

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年8月3日(水)夜
記録者:M.KOGURE


…徒然なるままに。陽が堕ちてもなお、熱気の冷めやらぬ夏の夜の気配。。。

今回は「エネルギー」が躰を動かすとゆう、ファリファリ初志貫徹の巻。常に躰 の周りにエネルギーが在り、そのエネルギーが変化、又は変化させる事によ り躰が動く。全体を包む様に取り巻いていたエネルギーが直線的になり、回 転し、躍動・静止する。

いやはや、何とも明解。誰もが持っている目には見えない力が素粒子、微分 子、微生物の如く存在しているのです…!己自身が意識すればおのずと感じ 取れるものなのですな。

その「流動」を演劇に利用するかしないかは個人の問題。でもそれを知ってる だけちょっと得した気分(笑)。

…うう、表現者とはかくも貪欲なモノなのか…。いや、所詮人間は「自己中心」 で叫ぶ生き物なのです。。。。。 

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループA
活動日:2005年8月8日(月)夜
記録者:K.KUWAHARA


今日は欠席者が重なり、3人!
まずは先に来ていた若林、上原君とファリファリの基本、腰の捻転から。
腰の落ちない上原、中心軸が定まらない若林、両氏とじっくり基本の確認。

その後、「歩く」、移動を基盤に集中、発語。。。。。。
そして椅子を使ったファリファリ・エチュードへ。

若林さん、輪郭が若々しい!
身体の線が前はどう動いても同じ型だったのが、鋭角的な姿形が出てく る。。。。。。
身体がファリファリ的動作をこなしてゆくには2〜3年はかかる、と考えるとい い。
急ぐことはない、それぞれの速度で。 

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年8月10日(水)夜
記録者:M.KOGURE


今夜のワークショップには林ゼミ第伍期の4人が見学に来ました。初々しい (苦笑)彼等が、ファリファリワールドへの取っ掛かりを見つけられれば幸いで す。。。

まずは発声訓練から。各々のテクストを使い、声を出す。パワー系、根岸さ ん・入好がおののく。凄まじいエネルギーが渦巻いてました。これは力を抜い ている事が重要。躰はニュートラルな状態からストレートに発声する。

その後ファリファリ・コア、ファリファリ・ベーシック2、ファリファリ・サークルと続 く。

ベーシック2は言葉の「森」だ。相手の言葉・音に耳を澄まして、その音を受け て根を生やし、大地を風の様に流れてゆく。時に嵐に飲まれ、雨が降り地が 固まる。そして新たに命が芽吹く。。。生命の源、水が躰の中を循環してゆく 様に…。そうそう、水と同じく酸素も必要だ。

今日は稽古場の空気が薄く、サークルの途中で意識が二度ほど飛んだよ「ヨ カナーーー…ン。。。」(くらっ)

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年8月17日(水)夜
記録者:M.KOGURE


今宵のワークショップ風景は、、、「天地」で例えるならさしずめ「地」系のエネ ルギーが占めていました。

私を含め、ワークショップに通い始めの面子が多く、空気も何時もとは異な る。。。

「歩く」と、椅子を使ったファリファリ・エチュードを展開する。良く言えば「異国 の風」。悪く言えば「停滞の鬼」。ううむ、発語の力・必要性が不安定であった り、いや、不安定もありなのだが、「常に停滞」の不安定は危険なのやも。

色々読み過ぎるとかえって場の空気が分散してしまったりするし…。

即興は瞬間の面白さがあるが、それ以上に一瞬たりとも気を抜けない。常に 場の変化を追う。…ゴールの無い迷路。。。

ファリファリ・エチュードは自己の世界を表現として利用出来るし、他者の世界 と出遭う事が出来るので好きだが、やはり突然の遭遇、行き止まりには何時 も戸惑ってしまう自分なのでした。。。まだまだ工夫が足りませぬね。お粗末 様。 

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年8月24日(水)夜
記録者:M.KOGURE


…生を再認識する…ファリファリ・コアで正面を意識する「枷」を与えられた。 正面、観客への意識。あるいは直線を見て自己の内面・闇を探り、改めて 「生」を実感し、再構成・再構築してゆく。林先生の言葉から。…ちゃんとまと められてるのでしょうか…?

今日のワークショップでも話題に出ましたが、私の文章はいまいち解りづら い。それは芝居の傾向にも言える事で、故意にしている部分もあるが、物事 をあまり論理的に解釈出来無いせいかも知れない。

抽象的にイメージを創り、そこに後から「意味」を肉付けしていく。先に具体的 な意味を細かく設定すると、身構えてしまい、浅くなる(気がする)。だから、イ ンスピレーションが重要。……と、言いつつ即興苦手(前回日誌参照)とか書 いてましたね(汗)。

と、ともかくファリファリもバランスとアンバランスのさじ加減が必要、という事で しょうか。…ああ、やっぱりまとめられませんでしたあ。精進します。。。。。

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年8月31日(水)夜
記録者:M.KOGURE


八月も今日でおしまい。夏の終りは、何故か街ゆく人々の空気が憂いを帯び ています。。。

メニューはファリファリ・コア、サークル。サークルは内に入った瞬間から、自 己の存在が確固たるモノになる。その空間を背負い、場をもたせなくてはなら ない。

私はまだ力が無く、パワーで無理矢理圧さないと入る事が出来無い。

しかし、そうすると変化球が投げられず、一本調子になり易い。もっと様々な アプローチが出来ると良いのだが。。。

他の人を観察しているとなかなか面白い。あの人が入るとブラックホールの如 く一点に吸い込まれたり、この人が入った途端場星屑の様に砕けたり。フォロ ーする人、壊す人。

立場はそれぞれたが、個々の持つ力が場を支え、他者に伝染し、エネルギー が動いていく。其所はまるで「宇宙の縮図」なのです。 

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループB
活動日:2005年9月7日(水)午後
記録者:M.DAI


〈生きる〉とはなんぞや。

存在しているだけで良いのか。生活しているだけで良いのか。きっとそれだけ でも私達は食べて、寝て、お金があればある程度生きていける。しかしそれで 良いのか。

そして、人はいつ自分が「生きている」事を実感するのか。赤子をこの世に産 み落とした時か。何らかの病にかかった時か。人は当たり前の事に関して何 か特異な事、外部からの接触がないと気付きにくいイキモノなのかもしれな い。

そう思うと、やはり自分は幸せな環境にいるのだと思う。私にとってファリファ リは唯一生きている事を実感できる場なのだ。

生きているのに息苦しい、息が詰まって死んでしまうキモチが、自分が発語し ている瞬間は全て吹っ飛び宇宙を感じる。沢山の課題はあるにしろ、あの感 覚は病みつきになってしまう。だから私は生きていける。どーしよーもなく無性 に泣きたくなる、誰にも負けたくないと思う時を必死で思考錯誤している時、全 身全霊かける魂と魂のぶつかり合う場が自分にとって大事だった。

色々安易な事は思いつつもそんな事を考えさせられた今日のワークショップ だった。

しかし、久しぶりの本格的キントレにより、早くも身体が言う事を聞いてくれな い。肉体が若いのか、老いているのか…。
「継続は力なり…」 (、記)

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年9月7日(水)
記録者:M.KOGURE


藤野合宿から無事に帰り、次はテラ公演が待ち受けています。夏の終りが見 えてもまだまだ熱の冷めやらぬシアターファクトリーです。

今日は始めに「ドール」組御用達の肉体訓練を実施。何とかクリア、、、と安心 したのも束の間、お次は「ツアラ」組の肉体訓練メニュー。フルコースは免れ たものの、明日に向かって筋肉痛。。。?

ファリファリ・サークルは各々が他者と対峙する以前に、自己との向き合い奮 闘だった。

藤野試演会のビデオ鑑賞。高校生長尾みわさんのモノプレイには言葉で言い 表せない感情、「念」が「音」と「仕草」となってその場に存在していた。人間と いう生命体にも他の生物達と同じく「生」への欲求が有る。そして「何故生きな ければならないのか」と苦しむ。その苦しみを受け入れる事で「生まれる」モノ が有る。母親が子供を産み落とす様に。

人は「個性」を持つ。それこそ一生をかけて個々のモチーフを追求して逝く。 永遠の苦行。だからこそ、ひた向きに生きる姿は美しい。…今日、モノプレイ の本当の意味に触れた、気がした。

空間に起こる化学反応

ファクトリー活動記録      
活動形態:演劇ワークショップ グループC
活動日:2005年9月28日(水)夜
記録者:T.SATOH


複数の人間のエネルギーを土台にして、「場」を作ると言う作業。この作業ほ ど「生もの」という言葉の当てはまるものもあるまい。ある空間をその作業場と して確定した後、1人1人の人間がそこにエネルギーを注ぎ込む。注ぎ込むが しかし、それは一瞬にして消え失せもする。消え失せないように次の人間が入 り、更にそれを補足する。補足するだけでなく、変化を加える。それをまた1 人、また1人と繰り返していく。

そのエネルギーの連鎖が熱を生み出し、空間を良い意味で歪め、空気を作っ ていく。林さんは「その場で意味が生成される」という表現をされているが、こ れは一種の化学反応といえよう。しかし、一般の化学反応と違う点は、それが 一瞬に崩れ去る危険性が常にはらんでいるということだ。それも簡単に・・・。

一般の化学反応は「それ」が生成されれば、「それ」として残る。空間構成の 化学反応は「それ」が生成されて後、そこに常に変化を与え続けなければ一 瞬にして消えうせる。変化を与え続ける中でも、間違ったアプローチをしてしま えば、全く別の色に変わってしまう。その「色」が良いものなのか、悪いものな のかの判断は今の私には良く分からない。 


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