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活動形態:演劇ワークショップ・グループA
活動日:2004年7月12日(月) 19:00−21:00
会場:新宿KC
記録者:K.KUWAHARA
先週は公演中だったため、「実験・創造工房W」の試演会から2週間ぶりの
WS。試演会の感想などを話しつつ、それぞれ発声を始める。スクワットから
『サロメ』テキストによる発語の基本トレーニングの途中、若林さん、間宮さん
は、壁に向かって手を壁に当てながらの発声(この間、他の3人はストレッチ
をしたりしながら見学)。10分ぐらいの指導だったと思うが、初めと終わりで2
人の声の質が明らかに変わっていた。特に若林さんの変化が大きく、声に重
量感、安定感が生まれていた。こちら側から見て、腰が深く落ちるようになっ
ていたのが変化の理由だと思う。それひとつでも存在感が大きく変わる。
こうして、基礎の基礎を改めて見つめるのも勉強になるなぁと思う。それも林さ
んの意図する所だったのだろうか?
後半、ファリファリサークルを行ったが、「今回は大きな強い発声を使わずに
場を上げてみよう」と林さんからの指示。
「ピ―――…」僕の頭の中はカラーバー状態である。
強い声・無し・ですか…はい。
「じゃ、桑原くんトップバッター」
―――はい…。
とにかく、始めてみる。途中でサロメ以外のテキストや長ゼリフを使用しても良
い、との事。何度となく、自分の番が回ってくると強い声で変化をつけようとす
る、つけたくなってしまう。それを制御しつつ、場に入っていくのだが…
やりづらい!!
自分がどれだけ強い種類の音を多用していたのかがよくわかる。それはつま
り、静かな声のパターンが少ないという事なのだ。
「あっ、これ、さっきも使った」「また同じだ」こんな感じで、終わってみたら3パ
ターンくらいしかないことに気づき、驚いた。自分の事に集中が傾いていたせ
いか、思い切りが足りず、場に入る瞬間を何度も逃した。だが、こういったシ
ーン創りだっておおいにあり得る。その時、対応できる引き出しは持っておく
べきだ。何よりやりづらかったのは、ゆっくりした動きから入っていく事だった。
エンジンのかかりが悪いというか、(自分が)上がらない。さて、このやり方、次
回も行われるだろうか…。むしろ、しばらくの間やってほしいなあ。
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活動形態:演劇ワークショップ・グループC
活動日:2004年7月14日(水) 19:00−21:00
記録者:Y.KITAHARA
久しぶりに来た、というのもあって、しばらく自分の頭の中を先行させてしてし
まっていたから、再度ここでやっている「受け止める」(感受する)ことから生ま
れるエネルギーのことを再発見&再確認できる良いきっかけになったのでは
ないか、と思う。
人と組んでやる場合、相手が一人であろうと数人であろうと、とにかく相手の
発するエネルギー、耳から入ってくるもの、目で見えるもの…身体全体を目に
し、耳にし、すべてを周りのエネルギーに集中させる。自分の身体はカラの容
れ物のようになっている。しかし、相手から何かを感じ取れた時、自分の身体
はそれに反応し、動きになったり声になったりして、何かを外に生み出そうと
する。
自分はすぐに自分の頭の中でやることを先行しがちだから、そのことに対し、
相手を信用し、自分の未知なる力を信じて集中していきたい。
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活動形態:演劇ワークショップ・グループB
活動日:2004年8月12日(木) 19:00−21:00
会場:OC
記録者:M.DAI
最近一人で舞台を観に行く機会が多くあった。それは友人が出ているものか
ら好きな劇団、初めて観る劇団と様々。どの芝居も良い所、参考になるもの、
自分と合わないなと思う所と沢山あったが、最後には「ファリファリをやればも
っと良くなるのになぁ」と思えた。声の質、精神、肉体の解放、エネルギー、空
間構成。そして何よりも「命」と「想(念)い」という事。先週この話を聞いて「は
っ」とした。役者が舞台に立つ意味、客が舞台上で役者を観る意味が、この二
言で成り立ってしまう。正にその通りだと思う。技術なんかじゃなく、「生きてい
る」事なのだ。だから私も板(舞台)の上では、良くも悪くも自分は「生きていた
い」と思うようになった。「命」と「想い」と「念い」と、そして「魂」で。そうは思って
いても中々どうすれば良いのかわからない私も現代人なのだが、私には「シ
アターファクトリー」という最高の場があった。人が人と、そして自分を感じられ
る場が。
先週に引き続き本日も発声強化とファリファリ・コア、サークルをやったが、自
分としては、発声強化は「磔スタイル」が一番楽に声が出る。でも楽だからと
言ってこればかりやらずに、もっと身体に負荷がかかって強い声を出せるよう
にしていく為に、色んなやり方を研究してみないとな、と思った。
Fサークルははっきり言ってまだまだ難しい。入るタイミング、身体の自由、空
間把握、台詞の組み立てなど、思考、情緒、身体が揃わないとできない代物
だからだ。それでも段々と最近は楽しいと思えるようになってきた。空間が一
つになる瞬間、何とも発狂したくなる瞬間、今台詞を言いたいと思える瞬間瞬
間がすごく楽しくなってきた。前回は受け身だったので今回は仕掛けてみよう
と思ったものの、仕掛けてみても途中力不足で場が保てなかったり、タイミン
グを外したり、組み立てが甘かったりと、「あ〜、やってしまった」と思える時も
いっぱいあった。大抵「成功した!」と思ったことはなく、いつも探り探りなのだ
が、どうやらそれもいけないのだなと今日気付いた。ある程度の意識はある
にしろ、もっと「ここだ!」と強く思う「決意」がないといけないと。
だから次からは今よりも更に意識を高く、意を決して中に入っていこうと思っ
た。ただ今日発見したことは、自分には「サロメ」の台詞を最初から最後まで
保てる事ができないのである。単独で体勢を変えて言うのであれば、ある程
度できるのだが、どうしてかサークルになってしまうと途中でヘコたれてしま
う。最初でパワーを使いきってしまうのもあるだろうし、やりながら「あー誰か
入ってくれないかなー」と思ってしまうのが原因なのだと思う。これが「モノプレ
イ」になったら…と思うとぞっとする自分にとって課題であるが、良くも悪くも自
分の発した言葉に、より周りの人達が何か感じて場が変化すればいいなと思
った。その瞬間一人じゃなく、ここにいるみんなでこの場を作っていると感じら
れたからだ。と同時に私は初めて意識してから板の上で「生きている」事を実
感できた。何故だかわからないが「これが生きるって事なのかなぁ」と思えた
私は幸せ者だと思う。週に一回でも「生きている」事を実感できる場があると
いう事はやはり恵まれているのだと思う。
今、同時期にワークショップに通い始めた二人がメキメキと力をつけている。
その一方で自分を見た時、(学校、3月)卒業時と全く変わっていなくて、焦り
たくないのに焦ってしまっていた。いつの頃から彼女達とこんなに差がついて
しまったのだろう、何をしていたのだろうと。しかし「そう思って焦っても変わら
ないや」と、自分は自分「らしく」やっていこうと思えるようになった。おそらく自
分が底辺にいることは間違いない。もう下がるところはなく、上に昇るだけだ
から彼女らからも、もっと刺激を受けて、観察して、一歩一歩、一日一つ発見
して成長していこうと思う。やはり何事においても「気」の持ち様だとよく言った
もので、「気」一つで何とでもなるから、恐いけど楽しい、だからやめられないと
思う今日この頃でした。
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活動形態:演劇ワークショップ・グループC+B
活動日:2004年8月18日(水) 19:00−21:00
会場: OC
記録者:A.KUROSAWA
・各自で発声、声出し後、『サロメ』テクスト「ヨカナーン〜」部分使用での発
語。また割り姿勢、8割の力で。声の出る姿勢を探りながら、試していく。そし
て途中で体勢を変えて、個人のスピード、強弱で発語。
・ファリファリサークル:基本テクストを使用し2組に分かれて行う。全員で「サ
ロメ最後台詞」「ヘロデ」「アンドロマック」など他のテクストも使用。空気をよ
む、入れる瞬間をつかむ。また、その場に必要かそうでないか全体をみれる
ように。
・F基礎U「すばらしいわ」「怖いわ」「どうしたのさ」「こわれちまいそう」を女性
2人2組で反復テクスト発語。『正午の伝説』、「おい、おい〜」を男性3人で使
い、空間を創っていく。二組の台詞が交差する。自分の相手を感じつつも、全
体を意識する。
身体の動き・言葉・感情がそれぞれ自分の中で分裂をおこしているのがわか
る。人は感情がたかぶったときには、そう動けないと思う。他者を意識しすぎ
て伝えようと無理に動くとそこから感情が流れてしまう。そして悲しみ・狂喜・興
奮錯乱し身体が反応しているときには、朗々と言葉(台詞)を発しはしない。大
きな身振り手振りだから、感情が表現できるとは限らないし、単に叫べばいい
ってわけでもない。
しかし、なにも言わず動かずに他者をまるっきり排除し、伝えることは難しい。
のどが渇いたから水を飲む感覚、一見手足は動かずとも細胞が変化し動く感
覚を忘れてはいけないなと思う。
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活動形態:演劇ワークショップ・グループC
活動日:2004年8月25日(水) 19:00−21:00
会場: OC
記録者:T.OKUMURA
◎発声 サロメの「ヨカナーン、私は…」の部分の長台詞を使って
●自分の声の出しやすい体勢で(8割〜MAX)
●チェンジ3回でためて発声
◎ファリファリ・ベーシックT
●2人ずつ向かいあって3組入り乱れてファリファリ
☆鳥のように☆どんどん変化・動く
◎ファリファリサークル
●最初のメンバーで1回やって途中から入れ替わりつつ、メンバー交替。
今日、初めてやったのが、3組同時に動きまわるやつ。なんていうか、余裕が
なかった。他の人もそう見えた。周りを見て、冷静に動けている人はいなかっ
たと思う。けれど、愛子さんはのびのびしていた。
自分が動きながら、相手を意識しながら、全体を意識しながらっていうのは本
当に難しいし、ものすごい集中力がいるのだと思った。まだまだだと思ってい
たが、まだまだまだまだまだ、だ。
声。発声の時に身体の中から響いて出る声が、たまに出せるようになった。
けれど、サークルではなかなか出ない。普通、Fサークルの方が出やすいだろ
うに…?自分を作っているのかな?ファリファリをやっている自分について、フ
ァリファリについて前より考えるようになった。考えれば考えるほど不思議なも
のだなと思う。そして面白く思う。そしてもっとやりたいと思う。やるのと出来る
のとは違うけど(笑)。頑張ろう!!
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活動形態:演劇ワークショップ・グループB
活動日:2004年8月26日(木) 19:00−21:00
会場: OC
記録者:M.DAI
「自分自身と交信」
今の私に欠けているものが、まさしくそれだと気がついた。
呼吸の変化、体勢の負荷、細胞や筋肉の内なる変化、台詞の組み立て方。
自分の中では「今日はこうしよう」と小さな目標なり、考えをいつも持ってくるよ
うにはしているが、持ってくるだけで「交信」し「発見」が出来てないのだと感じ
た。久し振りに基本運動からスローになった時これ以上ないくらいゆっくりと動
かし、自分の身体と向き合ってみた。骨が動く感触、指先で空気を押す感触、
足の指先から徐々に体重移動と様々な事に気づいて、汗をたくさんかいた。
「エネルギーの強い人間はエネルギーの強い人間に惹かれる」とは以前林さ
んがミガク会でおっしゃっていたこと。どうも成る程なと思った。自分がサーク
ルをやっていて「この人に絡みたい」と思うのは、その時その場でエネルギー
が強い人なのだなと。だから自分も、人が絡んでくれるように場のエネルギー
を強くしていきたいと思う。もっと周りを見て、一人よがりにならないように、そ
の場にいる人達は「敵」でもあり「味方」なのだと、視野を広げていこうと思っ
た。
今日初めてやった「カベ」は手強い…。ファリファリ参加以来初めて「見られる
意識」を経験。舞台に立つ時はいつも心掛けているのに、いざ細かく説明され
ると「??」となってしまって、できていたかどうかすら危うい感覚に襲われた。
更に客を飽きさせない台詞の組み立て方、聞かせ方もやっていかなければい
けなくて、いっぱいいっぱいである。「台詞を一回忘れて」とおっしゃっていまし
たが、そんなことする必要なく頭の中が真っ白になってしまった。この訓練の
厳しさを痛感するとともに、モノプレイの厳しさを身をもって味わった。足の指
先から頭のてっぺんまで、1人で10分程客に見られて、客を惹きつけて、尚
且つ「命」と「思い」をもって自分らしく伝えたいことを伝えて、セリフ、呼吸組み
立てて…と、考えると途方もなくなる。果たしてそんな事が自分にできるのか。
たった1分足らずの「カベ」でもこんなに苦戦しているというのに…。
不安ばかり募るモノプレイ。
未知なる世界モノプレイ。
恐るべしっ!モノプレイ。
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活動形態:演劇ワークショップグループA+C合同
活動日:2004年9月8日(水) 19:00−21:00
会場:OC
記録者:MAIKO
仕事が残業だった為遅れて入った。一人がサロメの「ヨカナーン、私は〜」の
長台詞を言い、それを全員が受けるというトレーニング中だった。何人か言い
終えたあと林さんの指示で、同じ台詞を全員で抑えた所からだんだんと強く発
していく。私は参加せずにずっと目を閉じてそれを聞いていた。すると不思議
なことに中盤で、誰かが具体的に発しているわけでもないのに「ウオオオオオ
オ…ン、ウーーーーー・・・・」といった、恨みの詰まったうなり声のようなもの
が、声の渦の上澄みに聞こえた気がした。大人数で情念のこもったテキストを
はいた為のハウリングかもしれない。面白い現象(もしくは幻聴)だった。もう
少し聞いてみたかった。
私の風邪とWS自体のお休み合わせて3週間ぶりのWS。声が驚くほど出な
い。日常生活の中でのどが塞がってしまっているよう。ファリファリ・サークル
でも欲しい力が足りない為、ここぞという決め(楔を打つ)が出来ない。イラつ
きこそしないが、「(なんとかせにゃあなあ・・・)」というシーンが続く。駄目だな。
頑張る方向を変え、声が出ないなら、なまった身体をもっともっといじめること
にした(基本だし!)。すると疲れや緊張ストレスなどで固まっていたあちこち
の筋肉がモノを言い出した。誰かがテキストを言って、それを聞いている時こ
そ腰を落とす。色んなものが堪って(たまって)いく。ココだというところで発。や
っと周りにも届いた気がした。また他の人が言っている時にそれを身体に受
けて溜める。周りが上昇しているのがわかったので信頼して待つ。そしてその
信頼どおりに場を作って頂け、『やよいの空は』の「お母様。」から入った。入り
から数行までは良かったと思う。途中もっとくっきり際立たせたかったがこれ
は私の技術不足であまり出来なかった。
根岸さんとの「素晴らしいわ」では、台詞に入ることを目指していたつもりだっ
たがお互いに入らず、「あれ?台詞は入るんじゃなかったっけ?何かそこまで
いけない・・・」と目的地を見失ってしまった。ならばせめて「素晴らしいわ」の4
つの言葉だけを使って場をつくるべきかなと狙ったけどそれもママならず。集
中力不足か?
今日見てて面白かった瞬間が2つ。
前出のハウリングを聞いたことと、ファリファリ・サークル中、カズエさんの両腕
を捕まえた山内君の冷静さと、ちゃんとリアルな戸惑いを見せたカズエさん。
カズエさんは他にもいい瞬間がいろいろありました。冷静で、何が必要か自分
で見つけようとしてる感があるし、なにより皆と一緒じゃないところがいいと思
います(奇をてらう、ということではなくて)。
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活動形態:演劇ワークショップ
活動日:2004年9月13日(月) 19:00−21:00
会場:新宿 KC
記録者:K.K.
今回は、ちょっと変わった進め方だった。
「基本姿勢」、『サロメ』テクストなどのF発語やファリファリ・サークルを行わず
に、最後は<壁>を行った。
まずは2人組・3人組に分かれる。音楽の中、ゆっくりと首を回す。最初は相
手を意識せずに自分に集中して、首・肩・胸と、範囲を広げていく。
徐々に相手との関係を創っていくのだが、そればかりに囚われてはいけな
い。時に離れ、また近づく、ということを繰り返す。2回目からは相手をチェン
ジして、場所の移動も加えた。
――ゆっくりと、静かに時間が流れていく――
声は一切発されず、暴れるような動きもない。
やがて、2人組・3人組の中だけだった関係が、フロア全体に広がり、全員の
呼吸が近いモノになっていった(ように私には思えた)。
そのまま「壁」に入る。ものすごく久しぶりだった。
観ている側も「場」に居る存在として、観る。
桑原・根岸さん・酒井さんの組からスタート。2回行ったのだが、自分自身に関
していえばボロボロだったので、なんとも恥ずかしい。よりどころがハッキリし
なかった。
本日行ったのは、このふたつだけである。何時から開始したのかわからない
が、<壁>が終了したとき「もうそんな時間?」と、少し驚いた。少しは集中で
きていたということなのだろうか?
フロア全体に、最初の首振りから、じっくりとエネルギーが蓄積せれていった
のは確かだと思う。迂闊に動いたらすぐに壊れてしまいそうな緊張感。それが
あの場にはあったのではなかろうか?ゆっくりと、静かに、だが確実に積み重
なるエネルギー。そんな流れもあるのだ。
まるで深い森の中にいるような…ボンヤリとそんな印象を受けた。
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活動形態:演劇ワークショップ・グループB
活動日:2004年9月16日(木) 19:00−21:00
会場: OC
記録者:M.DAI
相変わらず私の中の課題は「自分と交信」「発見」と「出会い」である。何故こ
んなにもできないのだろうと思っていたら今日やっとわかった。私は自己分析
能力が乏しいのである。
半年程前にとある人に出会う迄、私は「自分」を考えた事があまりなかった。
奥底の自分、本当の自分と向き合おうとしなかった。だから誰よりも自分が自
分を知らないのである。どんな人間なのか、今までの人生で何を感じ、何をし
てきたのか。20年間も怠った感覚を取り戻すのはたやすくなく、とても難儀な
ことだが、そうやって日々訓練していかないとリアルな芝居も、見せる芝居もと
ても薄っぺらいものになってしまうと感じた。頭と心と身体と声と空間と、向き
合って、「覚醒」「解放」的な自分(役者)になりたいと思った。
そんな中、帰りに入好と歩きながら4期の話をしていた。ゼミの調子や、自主
練はどうなの?なんて他愛もない会話をしていた。そんな中、「あの子ってど
んな子?」と私が聞いたら入好は「あの子とまだファリファリしたことないから、
よくわかんない」と言ってきた。
あぁ、そうかと。ファリファリは本当に人と人の魂がぶつかり合う場、訓練なの
だと。ファリファリを通して自分が感じたこと(相手に)はどんな些細なことで
も、その人の個人情報がない上でやったファリファリで感じたことはとても価値
があると思った。
それこそ林さんのおっしゃっていた一個人としての偏見をとっぱらった一つの
モノとして接することができる。色んな飾ったものを脱ぎ捨てて、失った時の人
と向き合えるとはとても貴重だ。私達現代人はどうしても情報に流されたり、
惑わされてしまって本質を見抜く力、見る機会がなくなりかけている。本質を
見て分析する、自己も他者も分析することが、今最も必要であり、大変な事だ
と思った。
日常的な会話から今の自分、これからの自分へと繋がる何かを発見した、ま
だまだ暑さの残る秋の夜のことでした。
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