林英樹の演劇ワークショップ


演劇ワークショップ2003年度後期
*註:稽古場内で「ファリファリ」の愛称で呼称されていた訓練法は、
2007年度より「Fメソッド」と正式命名いたしました。
活動形態:演劇ワークショップ
活動日:2003年10月1日(水) 13:00−15:00
会場: OC
記録者:Y.NISHI

●お話
藤野での創作の話から。今回「実験・創造工房」以外の参加者には作ってか ら行くのではなく、自分の中にあるものを出さざるをえない状態にしてみて、更 に現地で四人一組にして、まとめるんじゃないけど接点は持たせるという条件 でやってもらったが、なかなか面白いものが見れた。言葉を解放する、これは 音声と身体に対する圧力のかけ方などに関係している。また、技術は人のも のだが、技は自分の中で見出すもの。針の穴を通すような集中力と突破力。 そして既存のものへの問いかけ=メタシアターなど。同じであるはずがないこ とも、同一の基盤をもっているから出来る。無意識に出るものの把握。さらっ としていることが逆にグロかったりすることもある。などなど。『ドール』に関して は直球過ぎて判らない。演説のようなどの感想を頂きました。

ここで演劇について。演劇にはファシズム的な力がある。よって国家規模で利 用されたり禁止されたりすることが多々ある。役者が公務員の国もあるし、戦 争や革命に利用できるだけの力をもっている。しかし、そういったことに使わ れてしまうと、それはもはや演劇ではない。要するに観客の共感しやすい部分 に乗っかっただけの答えが一つしかない演説になってしまっているということ。 表現活動とはそういうものではないだろうと。

◎内容
・スクワットの姿勢で基本テクスト発語。七割、八割、九割の力で。

・ファリファリ・サークル。順番に「場」に入って基本テクスト発語。一人でも場を 支えられる様に。タイミングや仕掛け方などは自分で感じたりしながら。テキス トも組み立てを意識して。

○感想など
今回はS君やKさんなど、去年から一緒にやってきているメンバーが合流した せいか、久し振りに迷いもなく、純粋にサークルなどを楽しんでやれた。空気 的なものなんですかね、やっぱり去年からワークショップにいた人とやるとき は勝手にテンションも上がるし、「そういえばこんなこともやって良いんだった」 とか、なんていうか安心感みたいのがあるんですよね。そんな中じゃないと集 中できないって事は自分がまだまだなんだなと思い知らされます。創作工房 については、今回やった『ドール』、ビデオで見てみると……ひどいな、という のが正直なところです。ここまでグダグダだとは思ってなかったなぁ。いろいろ 勉強になりました。とりあえず自分はこれから一ヶ月の休会をもらって、ちょっ と一人旅に出てみる感じです。何かしらえるものがあると良いなと思っていま す。

活動形態:演劇ワークショップA
活動日:2003年10月6日(月) 19:00−21:00
会場:西新宿KC
記録者:MAIKO

今後のファクトリーの予定などのお話の後、各自で身体をほぐす。

今日は曜日が変更になって初めてのワークショップ(以下WS)で、空気も多少 変わった。(いきなり正直に言うと私は当初の木曜メンバーの方々ともっと一 緒にやりたかったのでちょっぴり残念だったりします。)
 
観るのもやるのも一番好きなファリファリ・サークルでしかも久しぶり、そして ほぼ"初"肌あわせなのでわくわくして始めましたが・・・。ウーン、まだまだ私た ちには課題が山積している模様。(当然だ!と自分に突っ込み。)何をまだ守 ろうとしているんだろう、私は・・・。WSに参加した当初の方が思い切り出来て た気がします。(後退してどうするんだ、自分。)ウーン、なんか歯がゆい。

11日タイニイアリスで大阪の【銀幕遊學◎レプリカント】とシンガポールの 【Daniel K & Co.】の「セロトニン」「メラトニン」を観た。ここにも共通する何かが あった(それはもしかすると今自分がやってみたいもののお手本となってしま うような)。またしても表現の神様が引き合わせてくれたみたいです。神様、感 謝!(と同時に「もうすでにこういった表現はずいぶん前からやられてるんだな あ・・・。そりゃそうだよなあ・・・。」とガッカリするやらうれしいやらでまたしても 複雑な気分に。)

活動形態:演劇ワークショップ
活動日:2003年11月19日(水) 14:00−16:00
会場: OC
記録者:Y.NISHI

●お話
役者は元々「個」だから、集団の中にあっても「個」であってこそ面白い。など など。

◎内容
・首回しから。徐々に肩、胸とまわす部分を広げていき、上体全てまわす。

・二人一組になりゆっくりと状態変化。自分の内側との対話によって。相手の 事は認識はするけれども対応はしない。あくまで自分を意識して動く。

・二人一組で少し距離をとって向かい合い、膝を少し緩めた状態でまっすぐ立 つ。ゆっくりお互いに前に出て行く。この時<交差型>と違い、相手を意識は するが、エネルギーの圧縮などは意識しない。ある程度の距離まで近づいた ら変化。この時も相手は認識するだけ。あくまで自分の中で変化。その後は 互いに離れ、元のように真っ直ぐに立つ。

・発展型。二人一組で少し距離をとって向かい合い、膝を少し緩めた状態でま っすぐ立つ。ゆっくりお互いに前に出て行く。この時<交叉型>と違い、相手 を意識はするが、エネルギーの圧縮などは意識しない。ある程度の距離まで 近づいたら変化。ここまではさっきと同じ。ここで『やよいの空は』テクストを二 人でやる。相手の声に対しては、音に反応するような感じで。後はタイミングを みてどちらかが切ってお互いに離れていき、元に戻る。

・更に発展。『やよいの空は』テクストを二人でやるところまで同じ。この時互い の身体をぶつけ合う。触れ合うことで自分の中にまた変化が起こるのを使っ て。後はタイミングをみてどちらかが切ってお互いに離れていき、元に戻る。

●お話
今回やったことは<交叉型>などの先にあるもので、自分や相手に対しての 個人としての概念を取っ払った上で成り立つものだ、と。つまり相手も自分も 完全に「存在」としての扱い。性別も個性もないものとのコミュニケーションを 意識できて初めてできることだと。

○感想など
今回は旅から帰ってきて初めての参加になるのですが、まさか三人しかいな いとは…。まあそれはいいとして、なんだかパッとしない感じで終わってしまっ たように感じました。三人しかいなかったせいなのか、自分の中で日常との切 り替えが上手くいっていなかったのか。どちらにしても「なんだかなぁ」な感じで した。さて、今回感想に旅のことも交えてと言われたんですが、旅に出てみて 得たものとか、今ひとつ整理がついてないんですよね。ただ、はっきりと一つ、 自分は一度死んだ、という感覚が自分の中にあるのは感じます。そのため、 何に対しても、「何とかなる」とか、無意味にふわふわした精神状態の自分が 出来上がっちゃってるんですが…。「自分は芝居がしたいんだろうか」と思って しまった状態からの抜け道を求めて旅に出たんですが、帰ってきたら、「ま あ、どうでもいいんじゃん?べつにそんなに考えなくても」みたいな感じになっ てしまっている自分。なんだかなぁ…。まあ、気長に自分を観察してみます。

活動形態:演劇ワークショップ
活動日:2003年12月8日(月) 19:00−21:00
会場: 西新宿KC
記録者:K.K.

今日のWSで、ファリファリ基本運動(二人)をひとりが中に残って数人を連続 して相手をする、というのをおこなった。空手の百人組手のようなモノである (実際は5人)。

なるべく短期決戦で、間を置かずに交代していくのだが、ひとりひとりの仕掛 け方、リズムが見事にバラバラで、なんとも面白かった。疲れたけど。

短期決戦なので、ひとりひとりのスタートが速く、その時間内で出し切ろうとす るから、集中力が増していた気がする。あと2周くらいやってみたかった。

改めてファリファリは<演技>そのものだと痛感する。そして<演技>とはコ ミュニケーションなのだ、と。

瞬間毎のテンションとパワー、相手の仕掛けとそれに対する対応。こんなにス リリングなものが面白くないハズがない。これは「組手」だ。イメージを使った 「組手」なのだ。

毎週行われる試合(林さんは本番と表現していた)、次が待ち遠しい。

では、僕にとって演劇とは何なのか?僕はあくまで演劇を娯楽ととらえてい る。その作品を観た人達がふっと「あぁ、何かイイなあ」と感じてくれる事。それ が全てだ。

以前読んだ本に「日本の伝統芸能とは夜空に浮かぶ月である。まるで景色を 見るように人々はただ感じる。観方や感じ方は自由でそこに善し悪しはな い。」と書いてあった。またもや、なるほどと思う。

僕は正に<景色>になりたいのだ。

何も押しつけず、ただ、存在する。月夜のように静かに、森のように恐ろしく― ――。そして身近に、常に生活の中に存在する演劇いや、芝居?

それが非常に困難である事はわかっているつもりである。だが、自分にとって はその道が全てだ。進むのみである。

※もちろん、伝統芸能と演劇を同一視はできないかも知れませんが、通じる モノがあると思い、あえてそのまま引用しました。

活動形態:演劇ワークショップ
活動日:2003年12月10日(水) 14:00−16:00
会場: OC
記録者:Y.NISHI


◎内容
・首回しから。回転の軸を徐々に下げていき上体を大きく回す。肩甲骨を伸ば したり縮めたりして、次第に旋回は意識せずに身体の求めるように動かして みる。

・四人一組で『やよいの空は』テクスト発語。始めにその場で声だけで軽く流し てやり、その後、色々仕掛けてみたり、その場での動き、空間の移動などを使 って発展させる。

・基本テクストによるファリファリ・サークル。順番に場に入り基本テクスト発 語。声・身体に仕掛けて色々なバリエーションで発展させる。入るタイミングや 出るタイミング、入り方、出方。前の人・後の人をどう受けるか、あるいは受け ないで切るかなどの判断が必要となる。また、発展してきたら順番に関係なく 入るようになる。更に発展して「ヘロデ」テクストや「おい」の掛け合いからの 『正午の伝説』テクスト、『やよいの空』テクストなども各々の判断で即興的に、 オーバーラップ・同時進行ありでやる。

●お話
<自分>であろうとする気持ちと<自分>を消そうとする気持ちのせめぎあ いから発展する。続けていると必ずスランプにはなる。が、あるところまで行く とどこかで別の場所に飛ぶ時がある。あせらずに頑張るように、とのこと。あ と、動きが習慣化されないように、動きたいところで抑制などを使って、軽くな らない様に注意。それから、深さと広さ。より深くもぐりこめば、その分視野が 広がって遊べる余裕も生まれる、など。

○感想など
今日は久し振りに江口・吉田両先輩が合流。一緒にやった中で、楽しかった のですが、なんだか自分が置いていかれていると感じ、悔しさというか危機感 のようなものを感じ、いい刺激になりました。さて、話は少し変わりますが、旅 で得たことの答えが一つ出た感じです。自分は今回のワークショップ中、以前 自分について発見した「腹式発声ができていない」、「サークルやヨカナーンを がむしゃらに叫んでいて汚いうえ、バリエーションも少ない」、「せっかく出る低 い声を使いこなせていない」などのことを改善するよう意識しながらやっていま した。そのためにはまず、そのことが頭から消えないように、いつもより一歩 引いた場所に自分を置いてやっていました。そうすると、いかにいつも「テンシ ョンを落とさない」「自分に仕掛ける」という部分しか見えてなかったのかを感じ ました。必死で必死で、それはいいことなんだけれども、少し落ち着いてみる と、試してみたいことがたくさんあって…。とりあえず今回は思いついたこと全 部やってみました。正直、楽しかったです。なぜこのことが旅で得たものと言え るかと言いますと、「広い視野」という部分。電車で二時間の鎌倉まで二十時 間かけて歩いてみたりした時、奈良の東大寺や京都の伏見稲荷大社、果て は屋久島の原生林や空を埋め尽くした星空を見たとき、「でかいな…」とか「あ あ、自分はちっぽけだ」などと感じていました。今回の旅では、これまでの凝り 固まった「自分」を壊し、そういった「ちっぽけな自分」を否定せず、心の底から 「ちっぽけな自分」として受け入れられる体験をしました。そのことが、結果的 に視野の拡大に繋がったのかな、今まで何度か考えみても出来なかった「物 事を一歩引いて見る」ということが出来るようになるきっかけになったのかな、 といった感じです。自分は固まりやすい人間なので、今回の事(一歩引いて見 ること)は忘れないようにしていこうと思います。

2003年12月3日(水)
ワークショップBグループ・
記録者:A.SODA


テラの初期ビデオ、アジア劇場の舞台ビデオを見て。

正直、今と昔の林さんを比較するように見ました。こういったら大袈裟かもしれ ませんが、思想や構成の変化などを漠然と、でも強く感じました。20代の頃 の作品は若さという武器を柔軟に使いこなしていて、ファリファリ(F式訓練法) が生まれてからは技を洗練させ世界を構築。言葉遊びの要素は今も昔もある と思うのですが、根本的な部分が違うと思うし、役者の使い方も違うと思いまし た。変わっていくことは当然のことなのに、その変化というものを凄くリアルに 感じました。そこで自分が何故そう思ったのかはわからないけど、これから集 団を作っていくうえで後ろ盾がない不安定さ、個人もそうだが集団としての未 熟さを感じました。この感情を心に刻印し、常に初心に戻れるようにしておこう と思いました。


最近のワークショップの感想

人が入れ替わった頃は凄く新鮮で、凝り固まったものが溶かされてゆくようで 気持ちが良かったんですが、最近は出席もまばらで、正直、萎えてしまう時が あります。僕自身、一度、体調不良で休んでしまったことはあるし、皆それぞ れ事情があるのもわかってるんですが、やれる内容も限られてくるし、僕自 身、みんなを必要としているので残念です。人間によってテンションが左右さ れるのもどうかと思うんですが、これが今の正直な気持ちです。自分自身の 問題は相変わらず山積みなので、限られた時間の中で少しでも何かを感じて いこうと思ってます。

2003年12月3日(水)
ワークショップBグループ
記録者:H.TOMINAGA


過去作品2本のビデオを観た感想
 
今回、2本の林さんの過去の作品のビデオを観させて頂いて色々とインスピ レーションを受ける事が出来ました。
 
今まで林さんの元でファリファリを学んで来ていて、正直、自分が稽古していて 自分達のしている事の先というか目指しているものが見えずに、目の前の訓 練を手探りでこなしているという感じが多少なりともありました。
 
今まで、『デズデモーナ』etc林さんの作品をビデオで見せて頂いて来たのです が、今回のビデオはそれらの作品とは違うパワーと疾走感に満ちていて、言 葉の力や芯のある台詞、役者同志の交流、場を持たせるという、今まで自分 の中で確信ではなく、あいまいだった点をある程度明確にする事が出来まし た。
 
ビデオ後の林さんの話を聞いて更に現時点での自分との芝居に対するハン グリー精神や役者としての存在感の違いも痛感させられ、今回観せて頂いた 2本のビデオで考え、感じた事を、この先の課題として受けとめ精進していき たいと思います。

12007年2月3日(水)   
ワークショップBグループ
記録者:S.UEDA

ビデオの感想

強烈的で、斬新で、それでいてどこか懐かしいようでもあって…
 
2番目に観たビデオの登場のインパクトには圧巻でした。あれ程の時間を 笑う≠ニいう行為で持たせるという方法…いや、技法に、目がくぎづけでした。
 
しかし、その笑い≠フみの舞台ではなく、中盤どっしりとした重たいエネル ギーの方が出てきて、一気に舞台は鮮やかになり…。
 
演出や役者の方々の意図することは感じ取れなかったと思いますが、そうで なくても、気持ちの良くなれるビデオでした。

2003年12月
ワークショップCグループ
記録者:NT.NAKAUCHI


ワークショップの感想

ワークショップを始めて7ヶ月が過ぎました。まだまだわからない事だらけで、 どうすればよいのかわからなくなる時も多々あります。それでも身体を動かし て声を出してみると、面白いと思うのです。
 
ワークショップを始めて、自分の中がちょっとだけ変わった気がします。それ は上手くは言えないのですが、表現することへの恐怖心が減ったような、そん な感じがするのです。それを感じたのはワークショップの藤野合宿の発表の 時なのですが、ステージに立った時、いつもとは違う感覚でその場にいたので す。
 
ファリファリをしていると、自分を縛っているものから自由になっていく、そんな 気がします。自分自身、こんな声も出せたのかぁ、とびっくりする時もありま す。
 
その場の空気を読んで、ここだと思うところで入る…今はまだまだわからない 自分です。最近サークルをやり始めて、中途半端に入ってしまう自分がくやし いのですが、それでも何回もやってみて、自分のペースで頑張っていこうと思 っています。
 
とりあえず、全力で頑張ってみようと思います。

2003年12月
ワークショップCグループ
記録者:N.WAKABAYASH


ワークショップに通い始めてから、自分に言い聞かせていること。
「呼吸(いき)を生きる」「表現する」「今を生きる」。 

ワークショップで、「呼吸」の意味の深さを教わっています。大切で効果があり そうだが、自分のものにするには大変な努力と理論づけを要求されるように 思っている。「呼吸」を正しくする事によって、気持ちの安らぎが得られます。 それに頭の中で、グタグタ考えないで集中できる。周囲を受け入れて、自分を さらす勇気を与えてくれる。これだけの効果が今までは毎日、無意識にしてい た「呼吸」のなかにありそうだと発見できたのは嬉しい。ワークショップの翌日 は体調が大変良い。心持が穏やかで、集中している。2時間の練習が、例え て言うなら、瞑想のような効果を身体に与えて、落ち着きと集中をもたらしてく れる。週1回の練習に集中して声、身体の表現を学んで「呼吸」の奥義を体得 したいと思っている。
 
練習の中で、相手と声や身体のコミュニケーションをとる時に相手の声を聞け ない、自分だけ単独で先回りする、相手のリズムと合わせられない欠点を感 じている。コミュニケーションをとるときに大切な、「自分をさらけ出す」ことが出 来ていない自分を感じています。普段の生活の中でもいつも身構えている、 一種の臆病さを持った自分を、ワークショップを通じて感づかされました。声を 出す練習は、内面から搾り出す行為だけあって、鋭く、怖いものだと改めて感 づかされました。

2003年12月
ワークショップBグループ
記録者:K.YOSHIDA


ワークショップ雑感   

自分で意識しているより、自分の身体のいい加減さを最近痛烈に感じてい る。身体の中に意識を向けても、どうやら向けたつもりになっていたようだ。な お悪いことに無意識に動いてしまうクセがついていたようで、これがなかなか 離れない、最近の自分は声を聞けていないと感じた。
 
そのために力の出し入れをもっと極端に行ってみた。「すばらしいわ」「こわい わ」強い
力で回している時はゆっくり腰を下げてみる、弱い時は極端に抜く、そこだけ に集中してみる、周りに合わせずムダに動くことを止めた。
 
そうしたところ自分の身体の声が少しわかった感じがした。少しずつではある が自分がもっと柔軟になれるきっかけが出てきたような気がした。動かないこ とで身体の中を激しく動かす、基礎の大切さを感じた。

2003年12月
ワークショップBグループ
記録者:K.EGUCHI


最近感ずる事
 
シアターファクトリーに入って一年半くらいになると思いますが、最近感じること は、自分にも役者としての力が少しずつだがついてきたのかな…と思う。
 
一番身近なところで分かったのは、歌を歌う時に声の大きさが変わってきたこ とです。ここで声の出し方、腹筋の鍛え方などを稽古してきた成果だと思っ た。
 
それと間の作り方、身体の動かし方など前よりも分かってきた気がしますが… まだまだ修業が足らんと感じます。
 
もっと色々な表現、色々な声の出し方などをもっともっと勉強していきたいと考 えております。


トップへ
戻る