3月14日(水)
Wednesday 14/3
8.00 - 10.00: Training
ロベルタのグループに混じりこむ。
見学する。二十人、見学五人。昨日の訓練の続き
9時15分 ロベルタからトルゲールに代わる。
1、スペースの一方にイス。少しアトランダムな方向で、固めて置く。逆の方に参加
者。まず参加者はイスのほうにいっせいに歩いて、恣意的に座って行く。
2、
「動き」とは何か。
何故、「動き」を問題にするのか。「動き」は、何かを可視化させる。と同時に、自己
の中の変化を自分に通知、認識させる手段でもある。
言葉は中の「動き」の可視化、か?昨日、バルバはオーディン劇団初期のヴォイス
訓練のフィルムの後、そのようなことを言っていたが。
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: Text Action Relations (work dem.)
トルゲーのワークデモンストレーション
ジュリアと一緒に。『オセロー』テキスト使う。確か、ISTAでも『オセロー』使った。
12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 14.30: Meeting with Odin Teatret's administration
*「休息」することにする。ミュージックルームに一人で居ると、ふらりとバルバやっ
て来て、明日のランチタイムにミーティングしようと言い残して去る。何故、自分は
ここに来たのか、あらためて整理してみることにする。
*そこにシャンティー(マレーシア)現れ、少し会話。ここに来て、オーディン劇団の
俳優から聞いた訓練のことは、殆ど二十代のとき、習ったり、我々の経験の中で
認識してきたこと。伝統と現代、一世紀の間、日本ではそれぞれの側からつなげよ
うとしてことごとく失敗してきた。自分もトレーニングでは伝統演劇から得たアイデア
をずいぶん使ったが、パフォーマンスでは使うことはなかった。結びつかない。だ
が、演技と身体のメカニズムを理解するのには役立つ、と話す。
*日本で失敗したことをバルバはどう結び付けているのか。訓練とパフォーマンス
は別。だからテアトル・ムンディはISTAのリサーチ活動の延長ととらえるべき。
*演劇集団、から再スタートするべきか。「身体と演技の原則追求」の中でおのず
とその問題も含まれてこよう。やはり、目標を単純明快に。「俳優の創造」とは何
か、を軸に。演出家による創造ではなく、劇作家の仕事の観客への親切な通訳で
もなく、俳優が創造すること、俳優が創造主体として舞台に関わるとはどういうこと
なのか、を追求しつづける。そこがアジア劇場の原点であり、TERRAに移行しても
変わっていない。我々の思考も魂も人生もすべて我々の身体と一体。だから、私
の身体がデンマークまで来れば、私のコンピューターだけでなく、全ての感情も思
考も経験もここにある。その事実から出発する。この身体とこの思考は不可分に
一体である、という現実から。
14.30 - 15.00: Break
15.00 - 16.30: The Odin Tradition - Iben Nagel Rasmussen
イベン・ナゲ‐ルの訓練
五十一人相手、ロベルタに頼まれたが、私には殆ど不可能だと話し出す。
「グリ‐ンレッスン」
二組ずつ、綱なしの引き合い、と5cm離しての動作を二つずつやる。
さすがにみな動きが丁寧になっているのと、腰を動きの中心にし始めている。プリ
サイスにこだわる。
相互に頭、胸、腹と布を回し、ゆっくり引き合う。互いの動きにのせてからだを動か
す。
「抵抗」という言葉がキーワード。これは私がいつも使う、からだに「負荷」をかけ
る、ということと同じだ。
今度は一人が他の人間の後ろから、牛が牛舎を引く感じで。「抵抗」を与える、とい
うことだ。
「訓練は我々の身体のセンサー能力を高める」(イベン)
綱引きスタイル:強く激しくせず丁寧に。相手の力に対応して。
次に綱なしでやってみる。見えない<抵抗>を想定しながらやってみる。
二人一組で今度は、相手のからだの様々なところを押してみる。
次に5cm、手を離してやってみる。
皆の前で二組づつやってみる。
*トータルアクション(全体演技)は全ての訓練の目標。
二人一組、今度は抱擁。親と子供の関係のように。あるいは恋人?5cm離れてや
ってみる。全ての動きのシークエンスを一人で(相手ナシで)やってみる。
「Transmission」
一つの動きから別の動き、形へ。「綱引き」から「抱擁」…・質の変化。
もう一度、パートナーとやってみる。
50%の動きでやってみる。
16.30 - 17.00 Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
バルバの話し
「昨日の夜の公演はどうだった?」と参加者に質問(基本的に一般の人の話を聞
かないバルバー「対話」の相手を本当に信頼する人間のみに極端に限定してい
る、ということだがーにしてはめずらしい)、次々に言葉が返ってくる。以下、
破壊
ソリチュード
関係
旅
コントラスト
受け入れがたいもの
イニシシエイションの一種
イエスと彼の誕生
*参加者からはやはり「くだらない」「退屈で」凡庸、ありきたりな言葉の羅列。
ドラマツルギーはただのエレメント。
演出のドラマツルギーとは、俳優同志、俳優と他のエレメント、ライト、音楽、装置、
空間との関係を指す。
『スケルトン』では、状態の変化(空間、そこに居る人間)のドラマツルギー。全ての
シーン、スコアーは他のパフォーマンス(作品)からピックアップし、組み込んだ。
一つのコンテクストから別のコンテクストに、言葉、シーンを持ちこんでみる。
たとえば『カオスモス』という作品は、カフカの『掟の前』をベースに作ったが、ロジカ
ルなアプローチをしないことにした。
* 昨日の公演、以前見たと思っていたのは別の作品であったことがわかり、昨日
の作品は見逃す。マレーシアから来たインド系のシャンティに聞いたら、観客席が
部屋の左右に分かれ、その間に二列のテーブル。観客は丁度、ディナーのときに
テーブルに列席するように、着席し、俳優はそのテーブルの間を動いたということ
らしい。
テーブルに置かれたキャンドルはスカンジナビアでは、ありふれた道具。(カトリック
では最後の晩餐のイメージに繋がるが)そこで、ビールを一緒に置く。フレンチバス
ケットに入ったパン、オリーブ(スカンジナビアではめずらしい。)
これだけで無意識的に多くの情報が入っている。
ここで突然、ポトラッチの話しになる。
*バルバの話しは、つねに予測しがたく飛躍し、それらが時には繋がり、時には
別々のエレメントとなる。彼の芝居のように、全くモンタージュで、我々は常に面食
らったり、戸惑ったり、ついて行けなくなったり、しつつも徐々に必死で彼の話しに
ついて行こうとすれば、その別々のエレメントから、我々の中で新たなイメージを受
け取ることが出きる。勿論、能動的な参加者を前提にしているが、彼の作品も話し
も、この企画もバルバに言わせるなら、非常に強いモチベーションとパッションで集
まった連中と言うことらしい。彼には、それ以外の、「ただ通りすぎて行くだけの大
勢の観客」は全く必要ない、とのこと。全くもって同感。こういう場所まではるばる来
てくれる観客、我々の上演には「ヘビー」な観客が二百人居れば、それでよい。こ
の観客が重要なのだ、とあとで個人的に会話をしたときに話してくれた。だからフェ
スティバルに参加するとか、大劇場で公演するとかいうことに全く興味がないし、呼
ばれても行かない、と言っていた。
北米ブリティッシュコロンビアの部族は、ボートやマスクを作り、他の部族を招い
て、それらを破壊する。バルバは南イタリアでも古い風習を見た。
歌舞伎、舞台の背景に三味線などが三十人も並ぶ。四,五人で足りるのではとバ
ルバには思えるのだが、これはポトラッチ。
演劇が我々に与えるものは<気晴らし>の特権。
コンティゴス;同じスペースに居るが何の繋がりもない。
『スケルトン』では、ヤンをコンティゴスエレメントとして、登場させた。劇とは何の繋
がりもない存在。…これは時にはドラマティック、コミカル、グロテスクな存在に変わ
る。しかし、結局のところ、彼が何なのかわからない、理解できない存在。別の次
元から来た存在。
偶然的な遭遇の場所
未知の、イングマティック?…一部の観客は苛立ち、しかし、他の観客は楽しんだ
りする。ロジカルな思考法をする人(ヨーロッパの伝統)に対する兆発。
スコアーについて
ワインは時間が経てば経つほど熟する、美味しくなる。アジアの伝統演劇はワイン
の製造に似ている。
同じスコアーを若い俳優と年老いた俳優で演じてみる(アジアの伝統演劇で)。若
い方は外見は力強いが、真の強さは年老いた方が表現。
何故か?彼ら(年老いたほう)は表現(Represent)しようとしていない。
東洋の俳優は小さい頃、スコアーを体得する。そして、二十、三十年後それを使う
と<透明>(トランスペアレント)になる。
何故私がオーディン劇団の連中と長くやるのか?それは古いスコアーの断片を改
めて使えるから。かつて作ったスコアーを他のスコアーと相互関連させて繰り返し
使ってみる。
オーディン劇団初期から【うた】を使用。その後、俳優はみな楽器を習い、楽器(演
奏)を劇の中で使うようになった。演劇にとって音楽性はきわめて重要。アジアの
演劇は音楽性を抜きに考えられない。コメディア・デラルテも常に音楽性を含んで
いた。
「テレビジョンの登場により結果としてイタリア、デンマーク、イギリスで何が起きた
か?人工的な[標準語]により、各地方の環境に応じて生まれた言語(‘方言’)が
排除されてゆく。特にその音楽性を取り払ってしまった。」
参加者からの質問
(今回のオーディンウィークで驚いたのは、バルバが参加者に対して「質問」を許し
ていること!)
ラヒド(イラン)
オーディン劇団の俳優は、常に新しいサイン(記号、身体的言語と言う意味か)を
作るため作業しているが…・
バルバ
オーディン劇団の俳優はサインを作るための作業はしていない。身体的リアクショ
ンからスペースのトランスフォームへ、をやっているのだ。ダンサーは何故あんな
に動くのか?エネルギーの道を作るためだ。スペースと時間とエネルギーは密接
に関連する。
質問
何のために演劇活動をしているのか?
バルバ
生命(人生)の意味は何か?それはただ一つ。それを維持するためにある。細胞
は人生/生命の意味など考えずに活動している。たった一つの目的のため。それ
はそれ自身の生命活動を維持すること。
オーディン劇団の俳優・・・アブソルートを繰り返す…・・丹念に精巧化してゆく…・テ
クストとのリンクを構築する。
ラヒド(イラン)の質問
宗教と演劇の関係は?
バルバ
カタカリは寺院に属する。宗教的ストーリーを語る。十歳からカタカリを教える学校
に児童は入れられる。宗教的聖者に成るためか?ノー、良い俳優を育てるため
だ。
演劇は長い間、検閲やら何やらでフィクション(虚構)化を余儀なくされてきた。この
虚構化の中にリアリティーを生じさせる方法を磨いてきたのが演劇の歴史。
* ラヒドから後で個人的に聞いた話し;イランにはSABOVという伝統芸能がある。
イスラム教と関連したものだが、その中で使用されるサイン(姿形)にはそれぞれ
意味があるとのこと。カタカリのプラガ(手のサイン)と同様。
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: The Castle of Holstebro II (performance)
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