「オーディン・ウィーク」レポート
デンマークの田舎に世界から集まる演劇人
林英樹記


世界中からバルバのもとに若い演劇人が集まる。


【ページ】
人魚の国への道
バルバとの最初のミーティング
ロベルタのワークショップ1
ヤン・フェルスレフのワークショップ
トルゲー・ヴェルテーのワークショップ
オーディン劇団の訓練法
ロベルタのワークショップ2
演劇人類学へ
状態の変化のドラマツルギー
アジア演劇の影響
ヨーロッパとアジア
オーディンウィーク・タイムテーブル

Time Table

Odin Teatret organises Odin Weeks during which we open our doors to people interested in learning about our work. The next Odin Week will be from Saturday the 10th to Sunday the 18th of March 2001.

The participants should arrive on Saturday the 10th. Registration at Odin Teatret between 16.00 and 17.00. At 17.00 there will be a meeting with Eugenio Barba. In the evening a performance will be shown. The work will conclude on Saturday the 17th at 23.00. The participants will leave on Sunday the 18th of March.

日々のプログラム
Daily program
8.00 - 10.00 Physical and vocal training
10.00 - 10.30 Break
10.30 - 12.00 Work demonstrations of Odin Teatret's actors
12.00 - 13.30 Lunch break and practical maintenance duties in the theatre
13.30 - 16.30 "The Odin Tradition" directed by one of the actors or musicians
16.30 - 17.00 Break
17.00 - 18.00 Meeting with Eugenio Barba
18.00 - 20.00 Break for dinner
20.00 - Every evening there will be a performance by the Odin Teatret

The programme will be conducted in English.
The participation fee will be DKK 5.500. Double room, breakfast, lunch and dinner are included in the price.
A written application must be in the hands of Odin Teatret before January 11th. We remind you our fax n. (45) 97410482. E-mail: odin@odinteatret.dk
Since the number of places is limited we will accept the first 50.
We will reply to all applications by January 25th.

Roberta Carreri
Actor and co-ordinator

ODIN WEEK PROGRAM
10-18 March 2001

Saturday - 10/3
16.00 - 17.00: Registration
17.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: Bus to town
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center and returns to Odin Teatret
20.00: Mythos (performance)

Sunday 11/3
8.00 - 10.00: First Meeting - White Room
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: The Echo of Silence (work dem.)
12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 15.00: The Odin Tradition - Jan Ferslev
15.00 - 15.30: Break
15.30 - 16.30: A Way through Theatre - Video
16.30 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Judith (performance)

Monday 12/3
8.00 - 10.00: Training
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.30: Traces in the Snow (work dem.)
12.30 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 15.00: The Odin Tradition - Roberta Carreri
15.00 - 15.15: Break
15.15 - 16.45: Physical Training at Odin Teatret - Film
16.45 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Dona Musica's Butterflies - (performance)

Tuesday 13/3
 8.00 - 10.00: Training
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: The Path of Thoughts (work dem.)
12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.00 - 15.00: The Odin Tradition - Frans Winther
15.00 - 15.30: Break
15.30 - 16.30: Vocal Training at Odin Teatret - Film
16.30 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Inside the Skeleton of the Whale (performance)

Wednesday 14/3
 8.00 - 10.00: Training
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: Text Action Relations (work dem.)
12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 14.30: Meeting with Odin Teatret's administration
14.30 - 15.00: Break
15.00 - 16.30: The Odin Tradition - Iben Nagel Rasmussen
16.30 - 17.00 Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: The Castle of Holstebro II (performance)

Thursday 15/3
8.00 - 10.00: Training
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: Dialogue between Two Actors (work dem.)
12.00 - 13.00: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 14.30: The Dead Brother (work dem.)
14.30 - 15.00: Break
15.00 - 16.30 The Odin Tradition - Torgeir Wethal
16.30 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Itsi Bitsi (performance)

Friday 16/3
8.00 - 10.00: The Odin Tradition - Julia Varley
10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.30: Vincent Van Gakk (clown performance)
12.30 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 . 14.30: Meeting with Eugenio Barba
14.30 Visit to the town
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: White as Jasmin (performance)

Saturday 17/3
8.00 - 10.00: The Odin Tradition - Tage Larsen
10.00 - 13.00:The Whispering Winds (work dem.)
and meeting with Eugenio Barba and Odin Teatret's actors
13.00 - 14.00: Lunch break and cleaning of the theatre
14.00 - 15.00: The Odin Tradition - Kai Bredholt
15.00 - 15.30: Break
15.30 - 16.30: On the Two Banks of the River - Film
16.30 - 17.00: Break
17.00 - 18.00 Meeting with Eugenio Barba
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Ode to Progress (performance)

Sunday 18/3
Departure


Odin Teatret -Sarkarparken 144,
7500 Holstebro, Denmark.
Tel. 97 42 47 77 odin@odinteatret.dk

ロベルタのワークショップ 1

林英樹 (2001年3月)  内省の旅

1999年から2000年にかけて、オランダに一年間暮らす(文化庁在外研修から 費用を得て)。

文化庁の在外研修期間が過ぎ、一度日本へ帰国(9月)する必要がある直前に、 オランダ随一の実験演劇集団「演劇グループ・ホランディア」の演出家パウル・クー クから共同演出としてその年の11月の公演から参加してくれるよう要請を受けた (8月)。すでに日本の学校に9月、10月の授業の申し入れの返答をしていたた め、残念ながら今回は無理と伝える。今回の事は断わらざるを得なかったが、「来 年以降ではどうだろうか、いずれにしてももう少し考えさせて欲しい」と伝える。

パウルとは以前から一緒に何度か企画を共にして、互いに芸術家としての信頼関 係を厚くしていた仲であるし、彼らの劇団の公演も何度も見て強く惹かれてもい た。劇団員とも交流がある。何より、彼らの創造環境が抜群に恵まれていて、日本 ではどんなに成功した演劇人でも劇団でもありえない環境で活動をしている。ヨー ロッパを拠点に活動をするのは、10年来の目標であったし、目の前に最高の条 件、が待ち構えているのである。わざわざ、演劇環境に関しては極貧の日本に戻 る理由は見当たらない。が、何故か、そこで「待てよ」という<ためらい>が生じて しまったのだ。


そうやって「少し考えさせて欲しい」と帰国して半年が過ぎ、迷いつつも彼への答え を出さなければ、と同劇団の演出パウル・クークが演出する国立芸術学校の『フィ ットネス・プロジェクト』に演出協力として参加することにし、そこで「最後の決断」を しようと、3ヶ月間の再渡欧。

そのついでにと言ってはなんだが、パウルとのプロジェクトが終わったあと、しばら くからだがあいたので、ユージェニオ・バルバの本拠地デンマークのホルステブロ ーで開催された「オーディン・ウィーク」に参加することにした。

すでに、ユージェニオ・バルバとは、1999年から2000年にかけ、何度か交流し、 親しくなっている。が、肝心の彼の本拠地デンマークでの活動には接していなかっ た。最初の邂逅は、バルバの片腕、ジュリア・ヴァーレイにコンタクトを計って「飛び 入り」参加した、イタリアの「ユーラシア演劇大学」(2000年6月)。更にボローニャ で行われた「テアトル・ムンデ」(2000年8月)。そしてISTA(2000年9月)への参 加。ISTAの最終日にバルバから、「日本に行きたいのでオルガナイズできないか」 という相談を受けたのを気にかけての今回の訪問である。

が、「特別扱い」は受けず、あくまで他の参加者と同じ待遇、立場にしてもらって参 加することにした。

もし、日本に彼を呼ぶとしても、私なりに「覚悟」が必要だし、もっと彼らを知る必要 もある。彼らと「共犯関係」になる接点が、自分の今後の活動に生じる可能性があ るのかないのか、つまりは自分自身の今後を「探求」する旅でもあった。

自分がどこで(日本かオランダか、あるいは別の国か)、何を基本軸に新たな活動 を行ってゆくか、を明確にしてから結論は初めて出る。それまで自分自身の答えを 「待つ」しかない。

いまは何回目かの数年がかりの「長い思案」期に入っていて、「冬眠」しているのだ から、「起きる時」は動き出す時。それまではじっと「思案」と内省の旅を続ける。こ の旅はもう少し、続くであろう。『カサンドラ』以降、日本国内でテラ・アーツ・ファクト リーの活動を止めてニ年が経った。もう少し…かかりそうだ。


2001年3月10日 ホレステブローへの道

昨夜、アムステルダム駅で久しぶりに日本映画の研究家のジャスパー・シャープと 再会し、一番乗り場にある大きなビッグマック店でしばし歓談した後、20時05発 のデュースブルク(Duisburg)行き列車に乗る。列車に乗る際、車内用夕食のため サンドイッチを買ったのだが、それから車中に入るまでの間に黒いバッグが消え た!!!全くどこに行ったのか思い当たらない。がホーム上にはない。盗まれた のか、一瞬の隙に。だとすると本当に職人芸。

列車はドイツに入ってから、しばらく立ち往生し、デュースブルクに十一時過ぎ着く が、そのため接続のミッデルファルト(デンマーク)行き列車に乗り遅れる。さあ、タ イヘン。ドイツマルクはないし、駅の切符売り場は閉鎖しているし、ドイツの田舎の 駅のしかも深夜、突然放り出される。どうする?自動券売機にいた、黒髪の人の 良さそうな青年(ユダヤ系?)に話しかける。週末列車サービスがあって、ハンブル グまでそれに乗ると40マルクで格安とか。別にそういうことを聞きたいわけではな いが、何でも「安い」というのはこちらの庶民の大切なものの選び方。が、朝四時ま でここで待たないとならない。

ドイスブルグ駅脇にIBSホテルがあって一泊シングル90マルク(約5,000円)と手 ごろ。しかし、明日の午後四時までにオーディン劇団に着かないとならないから、や はり泊まっている暇はない。

丁度、夜中の12時過ぎにハンブルグ行きの高速列車があることがわかり、「やっ たあー」とばかりそれに飛び乗ることに。今日はバッグを失い、予約した列車に乗 り遅れ、不運続きだから、より安全な道を選ぶ。一人旅だし。

デュースブルク深夜0:54発ハンブルク4:42着。ハンブルグはさすがにこの時間 でも人は多かった。軽い食事も取ることが出来、緊張も少しやわらぐ。フランクフル トからフレンスブルク((Flensburg、ドイツ最北端)行きに乗り、フレンスブルクでフェ デルチア(デンマーク)行きに乗り換える。全て二,三両規模のかわいい「ローカル」 電車。そこでオーディン劇団をめざすポーランドから来たアガタと一緒になる。国境 の検問で彼女の行き先、ホルステブローを答えたことでわかった。いかにもそこに 来そうな顔をしていたし。彼女、女優をめざしているとか。クラコフから。シアターX の企画で知り合ったヤン・ぺシェックは彼女の尊敬する教師でもあったとのこと。

フェデルチアからICでホルステブローへ。これは長距離高速列車であるらしく、車 両も近代的。ようやくホルステブローに着く。どうやら飛行機でコペンハーゲンまで 来た連中も合流したようで、三十人近い人間が駅から宿舎のロイヤルホテルはど こだ、とがやがやとめざすことに。スペイン語圏が多いようで陽気でにぎやか。無 表情に近いデンマーク人の雰囲気とは明らかに異質。やれやれ、とにかく間に合 った。そして無実着いた。

バルバとの最初のミーティング

3月10日(土)
Saturday - 10/3
16.00 - 17.00: Registration
17.00: Meeting with Eugenio Barba
バルバとの最初のミーティング

バルバの話から始まる。
―オーディン劇団の歴史―

「いつでも演劇は、私たちにとって旅」

「何がモチベーションか自分に尋ねてみる。何を求めている。この旅をどう活かす べきかを問いつづける。」

「結果の中でにはなく、結果の背後にあるものを追い求める姿勢を持つ」

「三十七年も一緒に芝居を続ける劇団が、二十世紀のヨーロッパ演劇に果たして あっただろうか。たいていは五年から七年で別れて行く、誰も留まらない(その長さ で出来ることより出来ないことのほうがはるかに多いのに)。オーディン劇団のメン バーは違う国から集まった者達。しかし、長い時間をかけてこの集まりは、創造的 な[家庭]を作った。」

「五十年前、ヨーロッパは廃墟。ノルウェーは戦火から逃れた。比較的豊かだっ た。十八歳のとき、父を失った私は貧しい南イタリアから国外へ旅をした。当時、ノ ルウェーは外国人に比較的オープンな国。そこに来て少女に恋した。しかし、イタリ アに彼女を連れて来ることはできない。当時はまだ敗戦の痛手から立ち直ってい ないし、南イタリアで外国人と暮らすのは大きな困難があった。十八歳の少年はノ ルウェーに留まった。船乗り、溶接工をして生活費を稼いだ。船には二年乗った。 遠い国へも初めて旅した。やがてホストファミリーのもとで、大学に通えることにな る。」

「その後、ユネスコの奨学金によって、四年間ポーランドへ演劇の勉強に行く。演 劇学校は一年で行かなくなり、当時国内では全く無視され、国外でも無名だったグ ロトフスキーの劇団に通うようになる。その頃、グロトフスキーの劇団の公演に来る 観客はいつも三人か四人、一人の時もあった。三年、グロトフスキーのもとに演出 助手として留まり、ポーランドに来て四年後(1964年)、ノルウェーに帰って仕事を 探した。ノルウェーの演劇文化環境は商業的演劇か、政府による国立劇団のみ。 実験演劇の入る余地はなかった。職業としての演劇、経済的な必要を満たす場が ない。」

 「そこで演劇学校から拒絶された受験生の名簿をもらい、彼らと会った。その中か ら数名メンバーを選んで劇団を作った。教師のいない若い劇団。訓練はそれぞれ が知っていることを他の者に教え合う形を取った。私は何も知らず、教えることが 出来なかったから。若い劇団員はそれぞれマイムや体操、ダンス、アクロバットな どを習いに行き、それを他のメンバーに教えた。劇団員同志が教え合う形となっ た。こうして教師のいない演劇グループが活動を開始した。」

「伝統とは何か。伝統とは身体とともに生きるものである。」

「演劇/劇場は建物ではない(シアターと彼は言う。バルバにとってのこの語は演劇 と劇場の二つが自然と入っており、あるいは渾然一体となっており、日本語に変換 する際に、どちらか一方に限定できないと思われる)そこはパラドキシカルな場所、 身体とともにある。私のポーランドでの経験は常に原点、スターティングポイント だ。」

「技能の能力とは何か?1968年は世界的に大きな変化の年。しかし、私たちが 劇団活動を開始した1964年はまだその前夜だった。プロフェッショナルな知識の 具体化が急務だった。オールタナティブで異質な経済システムを確立する方法は (生き残る方法)?」

 「二年後(1966年)ノルウェー、オスロ市を去り、デンマークに劇団員とともに移 る。」

「ホルステブロー市(現在人口約五万人の小都市)は当時何もない、若者がいつか ない町だった。市から離れた別の町でデンマーク海外公演を行ったのがきっか け。たまたま当時の市の文化政策で、突然声がかかった。まったく青天の霹靂。こ れが私たちの劇団が外部から認知された初めての出来事だった。こうして私たち は先の見えないノルウェーでの活動から、デンマークで外国人の劇団として活動を することになった。場所は市の中心から四十分も離れた、当時は回りに家は一件 もない農地の真中だった。古い農場の建物が活動の拠点として市から与えられた (現在も変わらずここがオーディン劇団とその研究施設の拠点)。」

「劇団員にとって外国であるデンマークでの最初の壁は言葉だった。ノルウェー語 とデンマーク語は近いといっても、理解し合うのは不可能。ノルウェー語とデンマー ク語の違いは、演劇をする上では困難な壁だった。そのときの劇作りはテキストを ベースにしていたため、ハンディキャップを負うことになる。コミュニケーションの問 題。デンマークの観客とどうコミュニケーションするのか。我々のドラマツルギーの 構築が必要となった。」

「ダンスではない方法。しかし、感情を基盤にした言語を確立するのが劇にとって のダンス。」

「イタリア人であり、ノルウェーで働き、ポーランドで学び、デンマークで活動をする。 [偏見]、[排除]がつねについて回った…そのため闘いの日々だった。レジスタン ス。そのときのこうした環境が私たちの師であったと言える。」


18.15: Bus to town
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center and returns to Odin Teatret
20.00: Mythos (performance)

ロベルタのワークショップ 1

3月11日(日)
8.00 - 10.00: First Meeting - White Room

ロベルタ、「白の部屋」で参加者を待つ。
15分遅れてくるものあり。ロベルタ、遅刻はここでは絶対になし、と説明。時間にな ったらドアは閉めるので入れない、と。

みなの簡単な自己紹介。何故ここに来たのか、を聞く。

何をしたいかはわかっているが、どうすればよいのかがわからないのでここに来 た、など参加者の返答。

その後、清掃の分担。
「この劇場/稽古場は私たちの家。自分はこの近くに住んでいるが、私のアドレス はここにある。ここは私の家庭。あなた方も短期間だけど、自分の家庭だと思って 欲しい。この施設は、いまとても広くなったけれど、清掃人を雇わない。全て自分た ちで清掃するのが私たちの態度。だから、あなた方も参加費を払って、一体何だ、 と思うかもしれないけれど、自分たちで毎日清掃してもらいます。」


*今回のオーディンウィークのオルガナイザーは、オーディン劇団の俳優であるロ ベルタ・カレーリ。彼女が全スケジュールと参加者の管理を行う。

彼女はまず、参加者全員に施設内に多数あるトイレも含め、各人にそれぞれ担当 の清掃場所を指定し、毎日清掃することを指示する。その時間は昼食の前後。こ の後みな毎日、必ず自分たちでこの「家」を清掃することになり、そこでのトレーニ ング、毎夕行われるオーディン劇団の出し物の見方もおのずと「観客」から、この 建物の一員という風に確実に変化して行くのが見えた。
 
また、市内の滞在ホテルから郊外にある施設まで歩いて四十分、交通機関はない から徒歩になるのだが、ホテルの朝食は7時から、集合は8時までに、という時間 のやりくりに初日は、ゆっくり朝食取る時間がない、と不満をもらしていたアメリカか らの参加者も、翌日からは十五分で朝食を済ませ、会場まで足早に向かう、と言う 風に態度が変化。効果覿面だ。朝から緊張感が漂う。そして8時丁度に訓練は始 まる。毎日同じ時間に訓練開始。だんだん、身が引き締まり、軽快になってくるの がみなわかる。


ロベルタが訓練の最中に言う。
「はじめは疲れるけれど、疲れを通りすぎると楽になってくるものなのよ、訓練っ て。からだってそういうもの。疲れは、日常生活では敵だけれど、演劇では大切な の。そこを乗り越えたところから始まるし、疲れることはとても必要なこと。」


*訓練の場であり、オーディン劇団の俳優たちのデモンストレーション、パフォーマ ンスの場でもあるこの施設は訓練、公演に使われるキャパ百五十名ほど、15m *30mほどのスペースが三つ、ライブラリー、各俳優の部屋、「グロトフスキーの 間」、ISTAの主要メンバーだった故サンジュクタの間、ビデオルーム、音楽ルーム/ オーディンウィーク期間中は食堂、管理スタッフの仕事部屋、バルバの部屋からな る。三十七年かけ、当初10m*15mのスペースが一つだけだった施設は拡張さ れた。建築の知識を持ったものは、もとレンガ積みを勉強したことのある俳優一人 を除き、誰もいないがそれでもすべて劇団員が自らの手で、稽古場兼公演のスペ ースを作ったと言う。これが彼らの言う演劇/劇場。そこをまず来た人間は自ら清 掃する。これが基本。自分で汚したものは自分できれいにせよ、ということである。

ロベルタは、稽古場の床がクリーンであると、気持ちが落ちつくと言う。あちこちに 衣服やものがちらかっていたり、乱雑だと気持ちが集中できない、と。床がからだ にとっていかに重要か、床との関係で我々の身体は成立する、その床をまず自ら きれいにすることから、訓練は始まる、と力説。


のちに参加者から聞く声では、
清掃から訓練を始めたのはとても正解だとのこと。スペース、空間、この劇団の稽 古場兼劇場に対する姿勢が、そのことによってとても丁寧、謙虚になれたと言う。

空間や自然に対する支配者、という価値観はヨーロッパ(キリスト教文化圏)社会 の精神基盤を形成しているが、床、劇場を自ら清掃し、訓練に臨む、というオーデ ィン劇団の空間に対する基本態度を最初に示したことは、その後の参加者の関わ り方を「お客さん」からこの場の、一時的であるにしても自らも主体なのだ、というさ さやかな意識変化を促した。参加費(八万円)を払ったからと言って、「お客は神 様」ではないのである。 

オーディンの人々は、比較にならない額の投資をし、自らの手で一つ一つレンガを 積み上げ、床を作り、汗を流したことを、そうして自らの活動の場と空間を手に入 れてきたことを、多少とも精神的なレベルでその「思い」を共有できた、という感覚 がみなに芽生えたようだ。

はじめはだらしなくちらかし、ごみを撒き散らし、騒々しくしていたスペインから来た 演劇学校の学生の一群も、その後、少し態度が繊細になったようだ。

何より、初日、半数近くが遅刻、だったのだが(特にスペイン語兼、イタリア語兼) 次の日から、誰に一人遅刻者が出なくなったのには驚く。スペイン、イタリア圏もや ればやれるじゃないか。南米公演の経験のある私は、公演当日まで時間がでたら めで泣かされたが(上演が八時からとちらしや新聞で出されると、観客は何と八時 半ころから来始める。全てが万事こうで、仕込みなどはめちゃくちゃな状態に陥っ た)、ひときわカンドー。いかなる態度で接するか、なのですね、問題は。


*その後のトレーニングでもよくわかることだが、彼女は床を基本に、そこにこだ わる。日本舞踊、舞踏の影響(1986年、日本に五週間滞在、ISTAのメンバーでも あった中島夏氏を通じて大野一雄に師事したそうだ)がかなり大きいのだろう。と いうより、彼女がもともと求めていたことと合致したのだろう。

ロベルタによると、ここが戸籍上の自分の住所になっている。実際には別の家に 住んでいてここで寝起きはしていないが、ここが私のホーム、自分の家はただ寝る だけ、ここに自分の人生があり、人生と同じ意味での演劇がある、と。そしてあなた がたのホームであるとも思って欲しい。家庭(ホーム)はファームでもある。生産す る場所、という意味だろう。



10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: The Echo of Silence (work dem.)
ジュリア・ヴァーレイ 静寂の響き

'Time of Cherish'より、観客の見ている背後、を。
ジュリアによる話と実演。

言語障害だったジュリアは医者やカウンセラーを回ったが、みな答えが違った。改 善されなかった。結局彼女は、<結果>を求めず、自らのパーソナリティを探すこ とに。

『Time of Cherish』 より、「動きの組み立て」

インド、ケララで習ったうたを歌う。「自分のパーソナルソングを見出す契機となる。 オーディン劇団では九ヶ月、外国を旅する。行く先々で常に言語を変える。声は他 者にとって、グッドである必要。立って歌うと動きをつけて歌う、座って歌うときと違 う。声も違ってくる。」


自分のパーソナルソングを見出す
「一年のうち、九ヶ月外国を旅。イタリア語、スペイン語、英語、デンマーク語(イギ リス生まれの彼女母国語)のその土地、土地で様々な言語を変えて言葉を話す。 自分の言葉が何か、違う自分が話す言語によって表れる。」

違った言葉をイメージして発声する。中国語の語感、日本語の語感などを使って。 羊、犬、牛。モォーと発音し、牛の音の真似をし、そこに言葉を流し込む。

ジェスチャー(動作)を、言葉のリズムに従わせてみる。動作はリズムについてくる ものとして扱ってみる。「声は私のからだのダンス」とジュリアは言う。


*オーディンの俳優は、訓練の方法をそれぞれのパーソナルな問題、とりわけ障 害からスタートさせている。だから基盤は共有しているが、個人によってその先は 分かれる。レジスタンスという言葉がしばしば使われるが(バルバ、ジュリィ、ロベ ルタ、イベン)、抵抗こそ表現の源泉。だから闘いの結果なのだ、表現とは、少なく とも彼らにとっては。

―リズムについてくる動作。

―ダイアローグはリズムをカウントする。


方法
1、 まずメロディーを使って歌う。

2、 メロディーを取って、歌う(語るとの中間)セミ・シンギング

3、 完全にメロディーを取る。歌を言葉(会話的発語)にする。


こうして、最終的にメロディーがなくなっても、言葉の中に歌として基盤的要素が導 入される。あるいは歌としての発語、が現れるとジュリアは言う。

プリテクスト スターティングポイント
―言語は理解のためのものではない。

サブテクスト
―最も俳優にとって重要。メロディー

コンテクスト
―衣装、ライト、顔の表情、他の俳優とのリレーション、イントネーション…・。
とジュリアは語る。

ジュリアのデモンストレーション
動きと言葉のスクリプト(ルール)がフィックスされる。…コレオグラフィック。

フィジカルアクションからスタート。そこに声、言葉を導入してみる。


ヴォーカルアクションについて
アフリカ、オーストラリアの山岳部族の話声の真似。一定のリズム、心電図のよう な。そこにテクストを流し込んでみる。

『ホルステブローの城』の演技シーンを部分実演し、その演技の背後にあるものを 語る。動き、言葉のイントネーションを振り付け、による全体演技。

彼女はこうして声とからだを一体に考え結びつけてみる。全体演技への試み。

うぃ*****、エ*****(非常にかん高い声、長い息で、まるで異星人の発声の様 に)。言葉は意味や感情を翻訳するだけのものではない、と語る。


ジュリアの即興ヴォーカルアクション。

オノマトぺと言葉加えて。

舌、口内筋肉をよく使っているのがわかる。


*彼女が日本語や中国語の語感を真似るとき、それは完全にでたらめなのだが、 日本語を正確に言うのは彼女の目的ではなく、単なる音のサンプルに過ぎない。 それを真似ることで、彼女のふだんの声の震えを克服し、彼女自身の声、そのリ ズムを見出すきっかけになることが重要。(ジュリアはふだん話すとき、声が震える 症状を持っている)


参加者からの質問に答えて
ジュリア:「『テクニック』を使っていない。自分が声を作ると言うより、誰かが呼びか けている、という感じを好む。たとえば、ヘッドヴォイス(頭のてっぺんから声を出 す)とかがそうだ。」

ジュリア:「声はその人のものではない、スペースが与えてくれるもの。自分がイタリ ア、デンマーク、いろんな場所を移動する。そこで(その言語で)声も変わってく る。」

ラトビアからの参加者の質問:動きに興味を持った。どこから動きを取ったか?

ジュリア:「自分の声はフィジカルアクションから来る。動きが先。身体の動きの色、 を考える。それが声の質、リズムを決める。」

質問:レジスタンスって何?
ジュリア:「たとえば河、堰がないと水はどこかに行ってしまい、河にならない。だか らその堰のようなもの。それによって水は河になる。」

「レジスタンス…・多くの意味がある。二つの力がぶつかって、更に上に。」

「対立する二つの力…抵抗がないと、どこかに逃げてしまう。」

「レジスタンスは自由を与える。」

「フォース(力)はあなたを、どこかに引き上げる。変える<何か>だ。」

「技術主義は自分の声にダメージを与えた。プロセスを楽しむことで自由になる。 つまり結果を考えないことで楽しめる。」

質問:あなたの声、悪いと思わないけれど・・・。

ジュリア「ひざを痛めたら自覚できるが、声はそこまではっきりしない。声に関して、 これは正しい声、声は悪い声、と言うのはない。ただ、違う声があるということとい ま私は思うようになっている。サウンド・オブ・ネイチャー。」


シンクロナイゼーション
「 I hate you と言う。たとえしぐさは柔らかくても、相手を拭い去ろうとする感じは 出てしまう。」ジュリア、手でぬぐいさるしぐさをする。

「ダンスはしばしば人工的になる。しかし、演劇の場合、舞台で俳優は話している が、身体は何もしていない。客は、舞台の上で口では一生懸命話しているが、から だは何もしていない別々の人間二人を見ていることになる。」

「我々はふだん一つで生きている。声とからだは一つ。それが、信じることの出来 る状態。」


*ジュリアもそうだが、オーディン劇団のメンバーは出発点、スタート地点、何故自 分が演劇を始めたか(何故、人生の旅を演劇の旅と重ねたか)の理由、原点を維 持しつづけている。このことが、同一メンバーによる長期の活動を可能にしている のかもしれない。旅はいつも楽しいわけではないから。

ヤン・フェルスレフのワークショップ

3月11日(日)
12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 15.00: The Odin Tradition - Jan Ferslev
ヤン・フェルスレフによる訓練。

実技から。いつも実践的にやるそうだ。

1、手拍子の合図で一回転飛び。手の力借りずに。音を聞くこと。

2、ゆっくり立ちあがり、ゆっくり歩く。からだのどこを押して動いているか感じつつ。 つねに10cm重心を下げる。

バランス
3、とても大きい歩幅を取る。

・ 目線に強いエネルギー

・ スペースに意識、目を開く

手拍子で一回転。

4、早く移動

5、一回転、突然停止。

・呼吸をコントロール、鎮める。

6、三つのアクション。繰り返す。

ピュアーアクション(ジェスチャー、パントマイムではなく)、体重とバランスの中心を 腰に。

7、超スローモーションで三つのアクションを繰り返す。その中にスピードの変化を つけてみる。

一つのアクションの前の瞬間の静止の中にフルのエネルギーをこめる。それが次 のアクションの源となる。どこでアクションが終わったか、を明確に。そこで一,二秒 静止してみる。

8、三つのアクションの組替え。1,2,3.2,1,3.3,2,1など。はじめと終わり の形は一緒。ソフトに。強く。ゆっくり。早く。とスピード、強弱を変えてみる。

9、移動、歩行

三つの違った歩行、ステップを使ってみる。

テンションは足中心に置く。腕はそれについて行く感じで、腕、手に緊張を加えない こと。

三つのアクション、それに対する三つのリアクションを行う。さらに三つのステップを 加えて、それ(九つの身体運動)を組み合わせ、一つの動きの流れにしてみる。

サッツ(彼らの基本用語)…・動き出す前のエネルギーの集中。そこから新しい動 きに移行する。


*これは能や歌舞伎の<ため>(溜める、矯める)にあたるものだと理解、バルバ の書でも繰り返し、能や歌舞伎の技法の原則が引用されている。

スペース全体を使ってみる。大勢の参加者が動くので、各人、常に周囲に対する 目を必要とする。
近づく人にアクションを対応してみる。

*ここで問題なのは、うまくなることではない。どう身体に対して自覚的になるかが 問題。身体の動きを自覚的に組み立てることに重点を置いた訓練と言える。


参加者の感想
イギリスから来た演劇教師のジェーン

「自分のからだに集中しようとするとき、初め他人は気を散らす存在だったが、 徐々に自分に集中しつつ、他の身体も感じられるようになる。」

時間一杯(一時間半)ふるに動き続け、繰り返し繰り返し動作を続けた結果、みな 汗だく。疲労も増すが、逆行してからだは軽くなって行く、動作に鋭さが増すのが見 える。


ヤンから最後に参加者へ一言
「一週間、たくさんの情報が入ってくるが、いちいち何の意味だと聞かないこと。ま ずやってみる。いちいち訓練の途中で質問をしだすと、集中が途切れるし、他のも のも、そこで流れが切れて、身体が知覚し理解しようとしているものを頭が押さえ つけ、閉ざしてしまうことになる。頭がわかることは我々の経験のごく一部にすぎな い。」



15.00 - 15.30: Break
15.30 - 16.30: A Way through Theatre - Video
16.30 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba

バルバの話し
「ニコラとISTAの活動をめぐって、五年間にわたって『Secret Arts of Actor』 という 本を執筆中。何をこの本に含めるべきか考えている。十九世紀演劇から、二十世 紀演劇では一体何が変わったのか。ソフォクレスからベケットまで、劇文学の歴史 書は山ほどあるのに、俳優のテクニックの視点からの演劇書がない。何故なの か?その問いから出発する」

「ヨーロッパ演劇のエッセンスは、『いかに』と『何故』に凝縮される。」


<何故>演劇か?
「ヨーロッパ演劇では、二十世紀までこの問いはなかった。なぜなら、演劇はそれ までコマーシャルエンタープライズだったから。」

俳優=パラサイト=娼婦としての歴史。

「十九世紀から二十世紀への変化。国家意識の変化。ナショナルアイデンティティ ーはロマンチシズムの結果として登場。スペインが例。カステーラとアルゴンが統 一される。カタロニアは言語が別。人工的なスペイン語が作られる。イタリア、ドイ ツも十八世紀に一つの国として形成されたばかり。イタリア語もシチリア、南部、ナ ポリ、北部で話されているもともとの言葉は別なもの。標準イタリア語によって、そ れぞれの言語が持っていた音楽性、身体性も消去されてしまう。」

「俳優は、国家に属さない、ジプシーのようなもの。ナショナルカルチャー(国家文 化)は国家にアイデンティティーを結びつけるために登場。だが、このボーダーは 自然なものではない。俳優はこのボーダーに本来属さない存在。」

「人工的に作られた統一言語(標準イタリア語、ドイツ語、スペイン語)と国家アイデ ンティティー。それがナショナルシアターの需要と重なる。国民文化、国家アイデン ティティーとそれを結びつける共通言語を徹底させる、権威化させることがヨーロッ パ(とその延長的影響下にある南北アメリカ)の国立劇場存立の精神基盤。」

「俳優本来の存在のあり方と、国立劇場を頂点とする二十世紀ヨーロッパ演劇は 逆立。」
バルバが説く[第三演劇]とは、この国立劇場を頂点とした演劇をファーストシアタ ー(一級演劇、あるいは第一演劇)とするのに対して、あくまでそのヒエラルキーか らはずれる、入らない演劇の場をさしている。」


<いかに>演劇を?
「ゴードン・クレイグ、メイエルホリド、スタニスラフスキー、みなまず俳優からスター ト。アッピア、コポーはミュージシャンだった。」

「演劇はエンターテイメントだけではない。エンターテイメントを超越できるものとし ての可能性を有する。演劇、その芸術的側面は、人間存在自体を問う、人間を探 求する能力を持っている。」

訓練の現状。カンパニー(上演団体)と演劇学校との乖離。若い俳優はゼロから始 めなければならない。見る、真似る、繰り返す。

「スタニスラフスキーは自分からスタートせよ、自分を変えよ、と言う。――そのこと で観衆が変わる(しかし、困難)。スタニスラフスキーはアウトサイダー、アマチュア だった。アウトサイダーが古い世界に爆弾を持ちこんだ。ナチャラリズムでは俳優 は通りの人々のフリをすることを主張。だが、舞台にライトが入る。舞台の前の部 分にからだを進める。観衆が目に飛び込んでくる。声のパワーが加わってくる。― ―俳優が観衆の力を使う戦術がおのずと問われてくる。」


「スタニスラフスキー以前も演劇学校はあった。しかし、生徒は常にゼロから始ま る。ゼロ=自分自身。見る、真似る(マーロン・ブランドを、アルパチーノ…・を)そ れをモンタージュする。」

自身のパーソナリティの開発を許さない旧習と闘う必要性。


二十世紀演劇の重要な問いかけ…何故、演劇をするのか?

ヨーロッパ(同時にそのパターンを移入した北米、南米)の演劇への問いがバルバ の活動のモチーフである。

「二十世紀演劇の産物・・ナショナルシアターとは何か?ナチス、ファシストがナショ ナルシアターを協力に援助し、押し上げた。イタリア文化の鼓舞のため、ドイツ文 化の力の誇示のため、といった目的を持っていた。


「一方では、日本のように世界第二の経済大国であり、ハイテク大国でありなが ら、非常に貧しい環境で演劇を行わざるを得ない国がある(*バルバは1980年 から十年間、毎年日本にリサーチに来続けた。10年通い、以後日本に来ることは やめたと言う)。日本では能、歌舞伎と言った国の文化を代表する伝統芸能にさえ 充分な国家助成がない。デンマークでは子供劇団でさえ、五十に及ぶ団体が国家 助成によって成り立っていると言うのに。」


国家助成とは?
「商業的か、非商業的かは問題ではない。国家(州、地方政府)によるオートナミス (?)による援助…・その分自由がなくなる。」


「ヨーロッパでは守旧派とアヴァンギャルドが闘う。ヨーロッパ伝統演劇守旧派はい くらでも自己正当化できる。我々の(国民)文化高揚のためとか、人々(国民、州 民、市民)の知的教育のためとか。」


WHOM
―では、誰に?という問いは。
―誰が観客か?誰に向けて演劇をするのか?

―ミュニシパルシアター、ステーツシアター(ドイツ)、サブシダイズシアター(国家助 成演劇、フランス、ノルウェー)。

「だが、隣人と作る演劇/劇場が存在する。それはゲリラのようなもの。国家軍隊、 正規軍に対する、ゲリラの闘い方がある。」


あらためて何故演劇をするのか?
「あなたがたの自問に私は答えられない。それは自分で考えることだ。」



18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Judith (performance)

ロベルタによるパフォーマンス。一時間の一人芝居。『ジュディス』、旧約聖書に登 場する人物。

トルゲー・ヴェルテーのワークショップ

3月12日(月)
Monday 12/3
 8.00 - 10.00: Training
グループは二十八名と二十六名の二グループに分かれる。白の部屋と赤の部 屋。私は白の部屋を割り当てられる。こちらはトルゲ―ルが担当。赤はロベルタ。

トルゲー・ヴェルテーによる訓練
まず数分間、全員(二十六名)が二手に分け、「それぞれのスタイルでウォーミング アップをせよ」と指示し、それを彼は見ている。皆の様子を観察している。

その後全員で歩く。腰を下げ、音を立てずに。早く、ゆっくりと、スピードのバリエー ション加える。

手拍子で静止。すぐジャンプし、膝を深く曲げ、方向を変えて着地し、しばらく静 止。

腰を上げ再び歩く。スピードのバリエーション。

腰はふだんの位置より10cm下げる。腰を伸ばし、腰を中心に動くこと。
歩く方向を変えてみる。

肩を引き上げる。肩がコーナーを切る、感じで方向転換してみる。手はからだの動 きに付随してついて行かせる感じ。

異なった歩き方を試してみる。

スペース全体を使う。再び、手拍子でジャンプ、方向変えて深く屈曲して着地、静 止。

三つの動き(アクション)を繰り返す。

二人一組になり、パートナーの三つのアクションをコピーする。自分の三つのアク ションをパートナーにコピーさせる。相互のアクションを組み合わせてみる。

繰り返し。


原則
「ルールのもとに自分を制限してみることで、深められる。もし、スローな動きをして いる最中に急な動きが無意識に入ると(からだを自由にしてしまうと)自分を失う。」



10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.30:
Traces in the Snow (work dem.)  
ロベルタによる。十年前に作った作品のワーキングデモンストレ ーション。
ISTAでのバリ、インド、日本の専門家たちとの出会いの中で生まれる。

実演。

実演の後、彼女の話。1970年、オーディン劇団は五人のメンバー。はじめはバル バ何もトーレーニングの仕方知らなかった。みなそれぞれ自分で見つけてきて、互 いに互いの教師となって劇団員同志が教え合った。

ロベルタはそれまで演技の経験も訓練も何も知らなかった。そこで彼女はアクロバ ットから取りかかった。…・床がとても重要になる。床は私の禅マスター。

スローな動き…・からだの全ての部分を意識しないとならない。常に「私は何をして いるのか」を把握している必要がある。

頭(上に向かうエネルギー)の方向、目の方向、手の方向、三つの異なる方向を取 ってみる。

入団して二年後、一つのキャラクターを作る。「ジェローム」。オーディンではこの 頃、ストリート劇(街頭劇)を作った。

ジェローム;黒ハット、白シャツに黒いズボン。笛を吹きつつ道化のように歩くスタイ ル。

「私たちは第二期に入った。バルバはその時、訓練方法は各人が自分で確立せ よ、と皆に伝える。孤独を感じた。オーディン劇団の俳優はみな異なった訓練スタ イルを開発しなければならなかった。」

「私は写真、絵を参考にしてみた。人の舞台を見ると、俳優はいつも手がぶらぶら だらしなくしている。しかし、写真や絵では手がしかるべき位置にあったり、しかる べき形を取っている。」

「南イタリアでポピュラーなボール投げのスナップ写真で、老人が投げている姿に 触発される。
目から情報が入り、それが投げる前に、からだの全てに伝わっている。」


ボール(空手)を投げるしぐさをしてみる。
「投げる際、バランスを取るため、投げる方向と反対方向の力の拮抗が必要。形 の模写ではなく、身体の中のエネルギーの動きのメカニズムを知ること。これを二 十分、三十分とやってみる。勿論疲れる。しかし、たとえばジョギングを考えてみよ う。十分後にはからだは重くなる。が続けて行くと、二十分後には軽くなるのを感じ る。こういうからだのメカニズムをスポーツやダンスをやっている人はよく知ってい る。」

「人間のエネルギーというものは、ふだんの生活ではその可能性のほんの一部し か使っていない。」

 「初めに疲れを感じるのはからだか、頭か。…頭である。頭で疲れると思いこむの である。」

続けて投げるエクササイズを見せる。投げる方向を変えてみる。スピードを変える ことで多くの広がり。ソフトに、ハードに、強弱を変えてみる。異なるボールのサイ ズ、スピード、方向、強弱の組み合わせをやってみる。

「この訓練を始めて八年後、私のからだはオートマチックに四つのことを組み合わ せられるようになった。」


目の訓練(凝視)
まず向かい合うと人は相手の目を見る。

「 何故西洋の学校では目の訓練をしないのか?インド、バリ、「日本」、いずれも目 を重視。大野一雄、「死人の目」と言う。どこも誰も見ない、自分のインサイドを見て いる。」

大きなスティックを使ってみる。大きいから抵抗も大きい。パワフルになる。二年 後、小さなスティックに変えてみる。

「スティックを使ったインプロビゼーションで様々の新しいイメージを発見。インプロ なしでは掃除機くらいにしか使えないように思うが、インプロを通じていろいろなも のに変わりうる。」


これをモンタージュしてみる。
実演;森の中、歩いている。戦士、気配がする。婦人がいる。婦人になる…・。

「1974年、八人の俳優がいた(オーディン劇団に)。この頃、一つの作品を作るの に二年かかった。五分のシーンを作るのに二週間も掛かってしまう。」

「バルバは『イメージ』を提示してくれた。『キリマンジャロの雪の上のライオン』と か。」

「『JUDITH』を長年やってて飽きないかとよく聞かれる。作品はインプロからビルト アップし、固定する。毎回やっていて、一度として同じことはできない。」

『ブレヒトの灰』で娼婦をやる。バルバがハイヒールを履くことを要請。ロベルタは拒 絶。バルバ、他の舞台ではいつもハイヒールじゃないから、ハイヒールを履いてみ ると別の動きが発見できるかも、と言う。

1、 ふだんの生活の中でのオートマチズム。

2、 クリシェ(陳腐な決まり言葉)…・作業の中での創造性。

3、 俳優のドラマツルギー

ロベルタはマリア・マグダリアの絵画を約900ほど調べた。様々な画家が描いたマ リアのポーズで気に入ったものを真似てみた。マリアのポーズの合成に歌を導入。 始めは「ララバイ」ソフトな歌、次にデンマーク語の歌、など。

次にメロディーを歌から取ってみる(言葉だけにする)。


テクストとの関係、声と身体

ヴォーカルアクション
同じテクストのセンテンスを頭の天辺から抜いた声、のどを使った声、胸、腹から の声など変えて出してみる。次に息だけ、のどを詰まらせてなど試みてみる。

「イスタンブールバザール」(ロベルタは行ったことがないけれど、そこをイメージし て)様々な光景、売り子の声が飛び交う様子をイメージして、一人でいくつものキャ ラクターを演じ、売り子をやってみる。

ヴォーカルアクションはフィジカルアクションに従ってやる(身体を先に、そこに声を 導入)

『Judith』
ナレーター、何役もこなす。声でキャラクターを分けてみる。もちろん観客は背後を 見ないからそこにあるテクニックは見えてこない。スコアーを作りながら創造した。

ロベルタは最後にメイエルホリドの言葉を使って締めくくる。俳優のなすべき仕事 についてだと思う。俳優が創造の主体である、ロベルタは俳優ではなく、自分はパ フォーマーだと言っていた。演劇はダンスを内包している。「言葉はダンス」という彼 女の考えに基づくものだろう。





12.30 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 - 15.00: The Odin Tradition - Roberta Carreri

ロベルタとヤンによる即興パフォーマンス
入り口にロベルタ、黒い衣装で座っている。ステージにヤン。楽器が無造作に並べ てある。

楽器を演奏するヤンと演ずるロベルタによる一時間ほどの「手合わせ」。これはパ フォーマンス(上演)ではない、と終わってからロベルタが釘をさす。創作を行う前 提となる即興だと言う。お互い相手がどう出るかはわからない。まずいろいろなとこ ろから「拾ってきたツールがある」。一人は楽器を演奏してみる。それもはじめて触 る楽器。ヤンが何を演奏するか、ロベルタはわからない。そこで出会う。

ここから彼らが、観客に話したいストーリーを見つけて行く作業が始まる。「多分演 出家が加わって何かになるでしょう(笑)」、とロベルタ。

全ては夢、すべては奇跡のイメージ。ジャーニー(旅)、行った土地で手に入れた品 物、思いでのあるコーヒー沸かし器、それらにはメモリーが入り混じっている。おば あちゃんがコーヒーを入れた時の入れ方に関する記憶、旅先で出会ったもの、人 の記憶。そこを旅する感じ。形やイメージにまといつく、時間、空間を超えた自分の 旅の軌跡がからまる。

このイメージの連鎖による組み立ては俳句の手法を使っている。『トリスタンとイゾ ルデ』の物語のイメージも作業の中から浮かんできた。

断片を次から次につなげてみた一時間の即興。

特にインスツルメント(様々なもの)をてがかりにやってみる。

十三年前、ホルステブローに音楽学校ができる。そこへ行って、我々は各人少なく ともひとつの楽器を演奏できるようにした。

舞台上に、楽器も含めた様々なインスツルメント。それと関わることで、どう空間を どうトランスフォームさせられるか。

創造のプロセスの公開、創造へ向けた第一歩の公開ということである。


観客(参加者)の質問
「これはパフォーマンスではない、とのことだが即興でよくこれだけのことが出きる と驚いた。」

ロベルタの答え
「ヤンとは長くやっているから、その結果に過ぎない。長く関わる(二十七年以上) ことで、多くの可能性が広がる。」

観客の質問
「何故、コーヒーメーカーを置いたか?」

ロベルタの答え 
「コーヒーメーカーは家庭になくてはならないもの。我々のルーツ。家庭の象徴的ル ーツを置いておきたかった。」

「二十七年前に私(ロベルタ)はイタリアを二十歳で離れた。そしてデンマークへ旅 (人生をジャンプ)した。私はノスタルジアをノスタルジアしている。ノスタルジアが自 分にないから。」

オーディン劇団の訓練法

3月12日(月)
15.00 - 15.15: Break
15.15 - 16.45: Physical Training at Odin Teatret - Film
『オーディン劇団の肉体訓練』(フィルム)
(1973年)
*1973年、イタリアのテレビ局制作によるオーディン劇団の身体訓練の映像を見 る。

若きイベン、ヤン、トルゲーが出演。男性陣は上体裸。この頃はバルバ曰く、「原 始的」な訓練をしていた。グロトフスキーの影響が色濃く出ている。1980年、ISTA を初めて、アジアの伝統芸能を直接、目の当たりにするようになって、彼らの訓練 は大きな変化を遂げる。バルバがコメントしていたが、すでにそのころ彼らもアジア の伝統芸能が特に重視する訓練態度に近いものを持っていたのだが、さらにその 多様な手、足、目の使い方、バランスの取り方、からだの中心線とバランスの関係 によって生み出される、超日常的身体運動、など、基盤は近かっただけに、長年に 渡って蓄積され練磨された高度なテクニックを見て、かなりのインパクトを受けたよ うだ。

この、フィルムはそれ以前のもので、すでに現在の彼らの訓練やパフォーマンスと は一定の距離はあるものの、その奇跡を知る上で貴重である。


〔映像内容〕
エクササイズ1 
マット運動。からだのバランス、安定。


エクササイズ2 
二人で蹴り合う。

二人、相対して、互いの胸の中心をける(強くでない。けられるほうは腰を落とし、 バランスを取って受けとめる)蹴るほうも腰の安定、蹴られるほうも相手を支えるだ けの安定(バランス)が必要。安定(スタビライズ)=バランス。これが二人の関係 を支える。

バルバはこのエクササイズの目的を、互いを信頼すること、と定義しているが、信 頼の前提には、バランズ(安定)が必要。この安定は、動きと変化、つまり不安定 状態をたえず作ることにより、不安定に対する抵抗、拮抗として生まれる反作用 (リアクション)でもあるわけだ。

次にステックを一人が持ち、首と足首、それぞれまず一回ためしをゆっくりとやり、 それから攻撃。一方はかわす。交わし方は決まっている方向に。打つほうも決して 相手を打撃するのではなく、ぎりぎりで交わされるように打つ。まるでなぎなたの訓 練を思わせる。何を目的とするのか、二人のコンビネーションか。


エクササイズ3 
ヤン、イベン、他の男優 床に転がり、立ちあがり(マット運動で使った回転運動の 順序を恣意的に変換し繰り返す)。延々と繰り返す。

これは床との関係を暗示させる。あるいは肉体と床、の二つの要素にシンプライズ し、繰り返す中で、思考から自由になる、ことをめざしているように思えた。繰り返し の中で、感覚が鋭くなることは確かである。我々の日常意識のオートマチックな身 体(ロベルタによるなら、日常生活では、我々の能力の表面、ほんの一部しか使っ ていない)から、自覚、覚醒した身体へ向かうための訓練と言える。


エクササイズ4
イベン、杖を使う。床と杖、これが身体を「制限」し、この制限によって、緊張、パワ ー、動き方が生み出される「元」が、つまり基盤が作られる。これは基盤であって、 だから杖を動かすのではない。杖を動かすためのからだの動き、筋肉の緊張と伸 縮、リラックスの継続的な連続性を生み出すのだと言えよう。だからイベンは延々 とやっていた。

前のセッションでロベルタは、彼女の生み出した杖を使う演技の説明で、ただ杖を 使うような日常生活の延長(リアリスティックに)の行為であるなら、掃除機変わり か、兵隊が銃をかつぐまねくらいしかない、と語っていたが、ここでは様々な動きの 連動が見えた。 




16.45 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba
バルバの話し
前の時間帯に上映されたフィルムを前提に話しを進める。

この映像の中での訓練は「俳優が舞台に立つ前の準備(前表現レベル)」として行 われたそうだ。

「クラシックバレエはフォルムを特殊化、しかし俳優はフォルムを作らない(ある形 を固定することはリアリティと逆行する、ということによろう)。」

バルバたちは注意深くエクササイズを行ったと言う。そのまま、これを舞台に持ち 込むことをしない。訓練は「繰り返し」が必要だが、それはリアリティーの喪失に繋 がる。

「演技のクオリティーとはリアルか否か、が決定するものである。」


*エクササイズは「迷信」(バルバの話しによく使われるターム、芸術家にとって必 要なる迷信、という意味合いで使っている)として実行している、とバルバは言う。 訓練することで、演劇に向かう意志を固め、集団のルールを形成し、それらが基盤 となって、創造作業が可能となる。人が居なくなってはそれまでの時間的な経験共 有が無意味になってしまう。続ける中から、新しいものの発見が生まれる。飽きる まで、というより飽き飽きした後から、新鮮な発展的関係が成立する。夫婦関係と 似ているかも。どんなに激しい恋愛で結婚しても三−五年で飽きが来るし、恋愛感 情はそんなに長続きしない。しかし、もし創造的な夫婦間系があるとしたら、この互 いに「飽き」が来た後から始まると言えよう。同じことかも知れない。こうした関係を 生み出すところまで持続させる、訓練とは「夫婦」の絆の役である。子供とか、毎日 遅くなっても必ず帰宅するとか、日曜日は夫婦、家族で必ず一緒に過ごすとかいっ た一種の「儀式」あるいはルール、日課。しかし、これがなくなったとき、夫婦の崩 壊は始まる。この「儀式」があることで、持続し、持続する事で新たな局面が生まれ てくる可能性が高まる、ということであろう。


「ボクシングはアクションとリアクションのバイオメカニズムを教えてくれる。全ての アクションは必要性において行われるべき。」

「この肉体訓練を初期のオーディン劇団で九年続けた。が、ある俳優は、訓練では 優秀だが、上演ではそうではない。また別の俳優は、訓練ではだめだが、上演で は優れた演技をする。何故?ミステリーだった。」

バルバは悩み、考えつづけ、あることを発見したそうだ。それが…<コシ>の存在 であった。彫刻が教えてくれた。たとえばロダンの彫刻。腕がなくても力強さが、腕 の持つ力強さを出すことが出来る。その鍵は<コシ>であり、床と腰の関係がそ れを生み出していることに気付いた。。

「何故?という意識を持たずに訓練を行ってきた。タナスの変革、知識…情報から 入るものでなく、身体経験から来るものの重視、という基本態度ゆえにである。」

「たとえば、ここにあるイスを動かす(と実際に目の前をイスを持ち上げて、他の場 所に置く)。この間のアクションは、いくつものエレメントで構成され、いくつもの筋肉 の動きが連鎖的に場所を変え、連結しながら運動し仕事をしている。そうして組み 立てられた結果、イスは私の手で持ち上げられ、他の場所に置かれた、のであ る。この動き(アクション)の組み立てを詳細にしてみる。それぞれの個々の動きの リズムの違いをカウントしてみる。」


ータバコをポケットから取り出す。

―フォルムではなく、スコアーが重要。

―態度を形式化しないこと。

「通常の演劇では、言葉が一つのストーリーを物語り、俳優のからだが別のストー リーを語る。観客はこの二つに分断された、別々のストーリーを受け取るため、そ こにリアリティーを感じ取れない。」

―俳優が追求すべきこと…・・
「オートマチックな技術を使わずに、いかに感動的な生命を与えられるか。いかに この<わざ>を刺激し、観客の心を打つことができるか。」


訓練
「訓練(エクササイズ)とは、からだを伴った精神…・・全身全霊(Whole Body, Whole Self)状態、を機能させること。」

「俳優がどう生きているかが問題。」

「オーディン劇団はフォルマライズ演劇の一種だと思う。」

「俳優が何かを表現する前の段階(前表現レベル)に注目。」

「俳優は、<歩く>という動作のまえに、すでに多くの情報を与えられる。たちえば ハムレット、場所はデンマークで、寒い。夜だ…・。多くの情報があるため、そのよ うに『装って』しまう。ただ、シンプルに「歩く」ことさえ出来なくなる。」


グロトフスキー
「グロトフスキーはモスクワに行き、スタニスラフスキーに関してワフタンゴフに学 ぶ。当時、演劇学校では訓練はしなかった。パフォーマンスの準備のみ(公演、上 演の稽古)であった。」

「グロトフスキーがロシアへ演劇を学びに行ったとき、ロシアは社会主義リアリズム 全盛の時代だった。グロトフスキーは社会主義リアリズムに反対する立場であっ た。」

「当時の演劇(1960年代初頭)では、俳優は人々が日常行っているしぐさの振り を装うこと、ばかりをやっていた。直接的な日常の表現…、つまりリアリズムであ る。」

「そこでオーディン劇団は、フォルマライズする方向に向かった。古い演劇慣習に 対する一種のレジスタンスだった。」


* スタニスラフスキーの誤解とその弊害は、すでに歴史的定説になっているが、 その要因は彼が体験した真摯な現場記録を「システム」化されたことである。スタ ニスラフスキーはこれを決して望まなかったし、彼自身、生涯自分に満足せず、さ らなる追及を目指していた。また、後にスタニスラフスキーと全く合い入れないもの とスタニスラフスキー追従者からレッテルを押されたメイエルホリドを最もバックアッ プし、彼のモスクワ演技研究所への復帰もスタニスラフスキーによってなされたも のである。

メイエルホリドは、スタニスラフスキーを否定したり、彼と全く異なる方向に向かった のではなく、スタニスラフスキーに欠如していた面、スタニスラフスキーが主に心理 的な面に注視したのに対して、演技における身体的な課題をそこに組み込んで行 こうとしたのがメイエルホリドである。だから二十世紀初頭の演劇教育、俳優教育 史は、スタニスラフスキーからスタニスラフスキー派(「システム化」としてそれを固 定した一派)、という流れになっているが、本来はスタニスラフスキーから、その未 完の部分(身体面の問題)を追求したメイエルホリドに発展展開した、となされるべ きだったのである。いずれにしてもスタニスラフスキー自身が自覚していた、生涯 達成されることのなかった未完成の追及課題…俳優による芸術とは・・、システ ムとしてそれ自体を固定化してしまった、後のスタニスラフスキー派によって大きく 別の文脈に変えられた、と言える。スタニスラフスキーはそういう者が出て、ドグマ チックにされることを望まなかった。彼は彼が現場での作業で体験、探求した事実 のみを伝えたかったと思われる。


空間自体の変容
「いかに空間のドラマツルギーが俳優によって構築されるか。」

「1980年代、ISTAをスタートさせることで、初めて<俳優によって表現されるライ フ(生命、人間)の構築の方法>を自覚できるようになった。それまでは訓練の必 要性がどうしてもわからなかった。」

「人間の動作の始まりと終わりは継続的な変化の連続で成り立っている。」

イスを持ち上げるアクションをバルバが行って見せて、そこで身体全体が行うたくさ んの動作、仕事のエレメントが含まれていることを指摘する。

「演出家は単にテクストをどう表現するかに関心を持つ。」

「日々、舞台に立ち、表現の生まれる場に立合う人々=俳優、を創造的な状態に 持ち込ませる[準備そのもの]を目的としたものとして訓練はある。」


訓練は何のためにあるのか?
「北アフリカでロンメル戦車軍団の侵攻に遭遇した無名のモンゴメリー将軍(イギリ ス軍)は、毎日兵士にひたすら銃の手入れをさせた。こうしたことが兵士の士気を 持続させ、戦闘に向かわせる気概を形成する。訓練とはそうしたもの。」


バルバ曰く
「私ははじめ、演劇上演はどうあるべきか、何も知らない、具体的イメージを持たな い演出家だった。」

バルバは、劇作家や、演出家が舞台を作るのではなく、俳優が作るもの、俳優の 創造の仕事としての演劇を追求した。


リアルとは何か?
「リアルタイムをインプロバイズ(即興)することである。過去のイメージ、記憶、情 報をコピーするのではなく、ふりをしたり装ったりするのではなく、リアルタイムをイ ンプロバイズ(生きる)行為。しかも、スコアーに基づいて。リアル=演技=インプロ バイズ=スコアー、をどう関連づけることができるか。」

スコアーを作ることで、アクションの生まれた内的必然性、アクションの根拠を喪失 してしまう。俳優の創造性を後押しすることとは何か?を探すこと、そこがバルバ が探求してきたことだと言う。


最後に一言、探求の態度について
「『これは…・だ』と物事を決め付けないこと、それは『老人』のすることだ。」



18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Dona Musica's Butterflies - (performance)

ジュリアのパフォーマンス
これは面白い試みだったと思う。「彼女自身」が登場するのである。彼女と演出家 バルバ、そして彼女の演ずる役の三つが核となった「自伝的」パフォーマンス。



☆何故私はここにいる?
*人のために何かしようとするときには、必ずウソがある。問題はこのウソが自分 を自由にするか、楽しませるか、ということだ。だからウソは時には裏切りにはなら ない。

バルバからコーディネイトを依頼された。それは事実だ。しかし、そのためだけでは 来なかった。それはできるかどうかわからない。そういう力があるかどうかではな く、確信だ。確信があればやりようはいくらでも考えられる。確信、つまりバルバと 関わることに何の意味があるのか。やはり帰ってくるのは自分の問題だ。だから何 故ここに来た、というのは、バルバの活動が自分にとって何なのか、その確信を得 たかったからにつきる。


☆演劇は手段か、目的か。
*自分は何かをやりたい、それは何かをやっていないと、不安に陥るからだ。何か をやっている中でかろうじて「自分」という輪郭が、自分に可視のものになる。勿論 それとて幻影かもしれない。だから演劇らしきものをずいぶんやってきたし、語って きたし、しかし、いまだにそれが何かを限定するほど、傲慢に振舞えない。あるい はそのことが傲慢に思えてしまう自分がいる。

演劇で何かを語りたいのだ。語りたい何かがあり、それを実現するには演劇という 方法が大きな可能性を有している、という「錯覚」と「妄想」が全て自分の演劇に関 わるエネルギーの原動力になっている。だが、その語りたい何か、それは一つ一 つのパフォーマンスのテーマと言う意味ではない。自分の「人生そのもの」と一体と なるべき何かなのだが、それがわからない。わからないから、自分の演劇はつね に「探求的な演劇」になる。職業としての演劇人ではない。演劇人になるための演 劇でもない。有名になるための演劇でもない。観客を多く集めて満足する演劇でも ない。自分が何をしたいのか

*日本では伝統演劇と現代演劇をつなげる試みは幾度もなされたが大半は失 敗。私は伝統演劇を自分の演劇につなげることはしなかった。しかし、訓練では多 くの示唆をもらった。だからパフォーマンスには伝統演劇の手法を持ちこむことは しなかったが、その基盤となる俳優のトレーニングに際して、あるいはワークショッ プでは借りている。

それに比べて、ヨーロッパの二十世紀演劇はリチャード・シェイクナーが語るよう に、多くのフォロンティアは「ゴー・イースト」(アジアへ)。果たして、日本も含めたア ジアの伝統演劇が、そう簡単に西欧現代演劇とつながるのか。この疑問がISTAや 今回のオーディン・ウィークに足を向けさせた内的関心でもある。


ロイヤルホテル374号室。(宿舎)
*12時過ぎ、ルームメイトのゴンザーロ帰ってくる。彼はポルトガル人。リスボンの 国立演劇映画学校を出て、ベルギー、そしていまスペインで演劇活動をしている。

彼に話す。テアトル・ムンディは別々のルールを一緒にしたもの。西欧人には面白 くても、それはテニスとサッカーの試合を組み合わせてしまうようなもの、と。

私の活動二十七年について少し、話。何故演劇をしているのか。名声のためか、 お金のためか。何を求めている?

グロトフスキーは「プアシアター」、バルバは「サードシアター」、冗談で私は「インポ シブルシアター」をめざす、と言う。この冗談はいけてる。ルームメイトのゴンザーロ におおいに受ける。

ロベルタのワークショップ 2

3月13日(火)
Tuesday 13/3
8.00 - 10.00: Training

ロベルタの訓練
1、 上体脱力、目からダウンしてゆく。立つとき膝ゆるめて伸ばさない。いつでも移 動できる状態。腰から、サッツはない。両足に体重を均等に乗せる。上体を起こす ときは、首から上げない。スロースピードを維持。

2、 足。Aつま先立ち。B指まげ支える。C逆足あげ、軸足かかと下ろす。

3、 ジャンプ。音を立てないで。

4、 スペースを見つける、移動。歩き方、スピード変えてみる。ノーマルスピードは 使わない。空間全体を見る。

5、 必要から来るステップ


必要によるステップ
頭、胸、はら、ひざ、つまさき…・各ポイントから動きだす。腰はつねに入れてバラ ンスを取る。スローモーションによる移動、大きなステップ、バランスは主に腰で。 腕でヘルプOK。床に腰を落としてもよい。

大きく、早く、ゆっくり、小さく、ステップとターン繰り返す。スペースの中に自分の位 置を見つける。

歩き方ー=ニュートラルに、演技しない。

床からゆっくり立ちあがる。

小さな流れの変化を維持して。

ロベルタの訓練の特徴である、「スネーク運動」。プラナを基点とした気の流れ、最 後に目から外に抜ける。

「目」が彼女にとって、ポイント。

動きのモチーフ(根拠、力の源)はどこから来るのか?

各瞬間にモチーフは変化。まるで水の流れ。留まらない。水への抵抗。水の表面 を押すように。これが動作の仕方に関するイメージ。

動くからだの建築。

動くとは、刻々と変化する中心点、バランスを取ろうとする動きとバランスの外に出 ようとする力の拮抗の中で、少しだけ外に出ようとする力が勝る。勝る量が早さを 決め、その量へのさらなる抵抗が、インテンションを生む。

*インテンションは、テンション(緊張)ではなく、強度。

オーディン・ウィークで面白いのは、バルバは訓練を一切見ないことだ。参加者へ の訓練は俳優たちによって全てなされる。基盤は共有されている。腰。その点で自 分たちを「ユーラシアン」(ユーロ・アジアン)だという


10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: The Path of Thoughts (work dem.)

トルゲーによるデモンストレーション
彼は三十七年前、ノルウェーからバルバと共にデンマークへやって来た俳優。国 立演劇学校の試験を落ちてオーディン劇団入団。映画が作りたかったそうで、そ のためオーディン劇団の活動のもう一つ柱、映画創作を上演活動と平行して行っ てきた。

テーブルとイス。そこで話し始める。「我々はテキストからではなく、テーマから始め る。」

「我々は、インプロを通じて「マテリアル」の創造から始める。これはフジィカルスコ アーになる。」

テーブルの周りを歩き出す。彼が最初に作ったスコアーから、様々なスコアーなど 説明。まずアクション、次にそのアクションのインサイドアクション(何が彼の中で起 きたのか)について話。


* 普通私たちは無意識に動作する(日常)。からだの全体の動きを意識すること はない。しかし、スコアーを作るとなると、そのアクションは繰り返しが要求されるか ら、各瞬間の動き、具体的にどの部分が動いたか、を認識する必要。


トルゲーの実演
1968年に作ったインプロビゼーションの実演。歩く、鳥が肩に。歩き方も右肩上 がり。鳥地面に降りる。触れる、噛み付かれる。そのあとの歩き方変わる。

* 誇張法をときに使用。

フィジカルフォーム…・クリーシェ

ギリシア劇のテキスト(『アンチゴーネ』)を使用。その実演。「劇文学の中の話とは 考えなかった。むしろ自分のストーリーとパラレルなストーリーと考えた。」五分くら いのパフォーマンス。実演、手を前に差し出し、声太に何事かささやく。

 始めにインプロビゼーションをスタートする際は、インプロビゼーションを人に見 せようとしてやらない、自分の中で何が起きているかを説明しようとしない。(「純粋 アクション」、をめざすと言うことか)

五,六分のインプロビゼーションを再構築するため一日中かけた。

始めに「無心」でつくり、再構築する中で、精密に細部を埋めて行くというやり方な のだろう。そのため時間がかかるその後、モンタージュを。

「スケッチ」からその「モンタージュ」へ。
ストーリー、ロジックはない、この段階では。あとから少しだけ意識し始める。これ は発想の広がりを助けてくれたりもする。

フィジカルアクション(身体動作、身振り)はつねにインナーアクション(内なる動作) と繋がっている。



12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.00 - 15.00: The Odin Tradition - Frans Winther

フランス・ウィンターによる訓練
歌を使う。
フランス…・デンマーク・ホルステブロー近くで生まれる。ロイヤル・コンセルバトリー で音楽学ぶ。60年代後半、学生運動、学校辞めて工場で働く。労働運動、そこも 首になり、その後郵便局で働く。


からだは声の見える部分
声とからだはアクションとリアクションのオルガニズム(組織的、有機的関係構 造)。


15.00 - 15.30: Break
15.30 - 16.30: Vocal Training at Odin Teatret - Film
ヴォイストレーニングの映像記録



16.30 - 17.00: Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba

バルバの話
ヴォイス・トレーニングの映像を受けて、何故それが必要だったかを話し始める。 「オーディン劇団がノルウェーからデンマークに移ったとき、言語の音楽性が必要 だった。ダイアログ(会話、話し言葉)の形式に目が向かう。」

発語には二つの情報が入っている。

バルバ、自分の話し方を例にとって、深々とイスにぐにゅっと座って、低い声でぼそ ぼそと話してみる。

ふだんバルバはいつもハダシにサンダル、必ず立って話す。それもイタリアなまり のひどい英語であるため、また必ずしも英語が満足なレベルではないこともあって か、そこでうまく表現できないことが多くあるのであろう、身振りやイントネーション が強調される。殆ど一箇所に留まらず、たえず動きながら話す。

この二つの話しか方では全く、伝わってくるものが違う。二つの情報とは、言語そ のものの情報(プリテクスト)と、それをどう話すか、というサブテクストの二つの情 報を我々は受け取っている、ということであろう。

初期の頃、ノルウェーの作家ナンス・ビュフブルの『鳥の友人』を上演しようと考え た。そのころはテクストに依存していた時期。

このテクストの内容は変えたくなかったが、充分な数の俳優がいなかった。俳優は 四人、役は十五名分。初期の環境が我々にテクストの表現だけでなく、そのコンテ クストの構築を迫った。ストーリーテラー(ナレーター)がコンテクストを作るが、彼は 同時に話しの役にもなる。

オーディン劇団が何故、サバイバルできたか、に関する話が興味を引く。

* 訓練を長時間にわたって共有し、「対話」を幾時間も交わした長い付き合いの 「仲間」と出来る創造作業は、初めて、あるいは短い期間の付き合いで出来ること よりも、はるかに深さと広がりを持つことが可能。新しく出会った人間と共有するた め必要である十年くらいの時間をぶっ飛ばして、いますぐここから「その先」に取り かかれる。いつでも知りたいのは、行って見たいのは「その先」に何があるか。「未 知の領域」へ踏み込むことだ。創造的にも、思考的にも。宿舎のロイヤルホテル、 374室のルームメイト、ゴンザーロと一昨日の夜、ベッドに入ってから、話して冗談 半分で言った「インポシブルシアター」。ぜひ、やってみたい。

めずらしくバルバ、参加者に質問を尋ねる。次々に挙手。

*普通、バルバ自身は参加者からの質問は受け付けない。殆どの質問は彼自身 がすでに知っていること、彼にとっては「対話」にならないこと、つまりそこから先に 行くのではなく、「説明」に終わることだから。彼にとってはそういう「退屈」な質問が 多いため、それにエネルギーと時間を費やすのは、時間の浪費、無駄と割りきって いるのだ。彼は関心の持てる相手しか話さない。古くからの友人が殆ど。これま で、何度か立ち会った彼のプロジェクトで、少なくともバルバと親しく会話をしてい る、と思える人物はだいたい二十年から三十年の付き合いをしている人々だ。あと は「公開」セッションで、あくまで「参加者」の群れの一員と見て対する。徹底した 「個人主義」者である。その態度は自分とは違うが、頷ける。たくさんの「著作」「研 究」活動に限られた時間を使うバルバにとって、時間こそ最大の宝物。無駄なこと に浪費したくないのだろう)



18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Inside the Skeleton of the Whale (performance)

*バルバの激しいイタリアなまりの英語、朝からの外国語づけに頭が働かない。た めに、このパフォーマンスは見に行かなかった。昨年ISTAで見たと思っていたため でもある。あとでルームメイトのゴンザーロに聞くと、どうも違う作品だったらしい。

イベン・ナゲールのワークショップ

3月14日(水)
Wednesday 14/3
8.00 - 10.00: Training

ロベルタのグループに混じりこむ。
見学する。二十人、見学五人。昨日の訓練の続き

9時15分 ロベルタからトルゲールに代わる。
1、スペースの一方にイス。少しアトランダムな方向で、固めて置く。逆の方に参加 者。まず参加者はイスのほうにいっせいに歩いて、恣意的に座って行く。
2、


「動き」とは何か。
何故、「動き」を問題にするのか。「動き」は、何かを可視化させる。と同時に、自己 の中の変化を自分に通知、認識させる手段でもある。

言葉は中の「動き」の可視化、か?昨日、バルバはオーディン劇団初期のヴォイス 訓練のフィルムの後、そのようなことを言っていたが。



10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: Text Action Relations (work dem.)

トルゲーのワークデモンストレーション

ジュリアと一緒に。『オセロー』テキスト使う。確か、ISTAでも『オセロー』使った。


12.00 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre

13.30 - 14.30: Meeting with Odin Teatret's administration
*「休息」することにする。ミュージックルームに一人で居ると、ふらりとバルバやっ て来て、明日のランチタイムにミーティングしようと言い残して去る。何故、自分は ここに来たのか、あらためて整理してみることにする。

*そこにシャンティー(マレーシア)現れ、少し会話。ここに来て、オーディン劇団の 俳優から聞いた訓練のことは、殆ど二十代のとき、習ったり、我々の経験の中で 認識してきたこと。伝統と現代、一世紀の間、日本ではそれぞれの側からつなげよ うとしてことごとく失敗してきた。自分もトレーニングでは伝統演劇から得たアイデア をずいぶん使ったが、パフォーマンスでは使うことはなかった。結びつかない。だ が、演技と身体のメカニズムを理解するのには役立つ、と話す。

*日本で失敗したことをバルバはどう結び付けているのか。訓練とパフォーマンス は別。だからテアトル・ムンディはISTAのリサーチ活動の延長ととらえるべき。

*演劇集団、から再スタートするべきか。「身体と演技の原則追求」の中でおのず とその問題も含まれてこよう。やはり、目標を単純明快に。「俳優の創造」とは何 か、を軸に。演出家による創造ではなく、劇作家の仕事の観客への親切な通訳で もなく、俳優が創造すること、俳優が創造主体として舞台に関わるとはどういうこと なのか、を追求しつづける。そこがアジア劇場の原点であり、TERRAに移行しても 変わっていない。我々の思考も魂も人生もすべて我々の身体と一体。だから、私 の身体がデンマークまで来れば、私のコンピューターだけでなく、全ての感情も思 考も経験もここにある。その事実から出発する。この身体とこの思考は不可分に 一体である、という現実から。



14.30 - 15.00: Break
15.00 - 16.30: The Odin Tradition - Iben Nagel Rasmussen

イベン・ナゲ‐ルの訓練
五十一人相手、ロベルタに頼まれたが、私には殆ど不可能だと話し出す。


「グリ‐ンレッスン」
二組ずつ、綱なしの引き合い、と5cm離しての動作を二つずつやる。

さすがにみな動きが丁寧になっているのと、腰を動きの中心にし始めている。プリ サイスにこだわる。

相互に頭、胸、腹と布を回し、ゆっくり引き合う。互いの動きにのせてからだを動か す。

「抵抗」という言葉がキーワード。これは私がいつも使う、からだに「負荷」をかけ る、ということと同じだ。

今度は一人が他の人間の後ろから、牛が牛舎を引く感じで。「抵抗」を与える、とい うことだ。

「訓練は我々の身体のセンサー能力を高める」(イベン)

綱引きスタイル:強く激しくせず丁寧に。相手の力に対応して。

次に綱なしでやってみる。見えない<抵抗>を想定しながらやってみる。

二人一組で今度は、相手のからだの様々なところを押してみる。

次に5cm、手を離してやってみる。

皆の前で二組づつやってみる。

*トータルアクション(全体演技)は全ての訓練の目標。
 
二人一組、今度は抱擁。親と子供の関係のように。あるいは恋人?5cm離れてや ってみる。全ての動きのシークエンスを一人で(相手ナシで)やってみる。

「Transmission」
一つの動きから別の動き、形へ。「綱引き」から「抱擁」…・質の変化。

もう一度、パートナーとやってみる。

50%の動きでやってみる。


16.30 - 17.00 Break
17.00 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba

バルバの話し
「昨日の夜の公演はどうだった?」と参加者に質問(基本的に一般の人の話を聞 かないバルバー「対話」の相手を本当に信頼する人間のみに極端に限定してい る、ということだがーにしてはめずらしい)、次々に言葉が返ってくる。以下、

破壊

ソリチュード

関係



コントラスト

受け入れがたいもの

イニシシエイションの一種

イエスと彼の誕生


*参加者からはやはり「くだらない」「退屈で」凡庸、ありきたりな言葉の羅列。


ドラマツルギーはただのエレメント。
演出のドラマツルギーとは、俳優同志、俳優と他のエレメント、ライト、音楽、装置、 空間との関係を指す。

『スケルトン』では、状態の変化(空間、そこに居る人間)のドラマツルギー。全ての シーン、スコアーは他のパフォーマンス(作品)からピックアップし、組み込んだ。

一つのコンテクストから別のコンテクストに、言葉、シーンを持ちこんでみる。

たとえば『カオスモス』という作品は、カフカの『掟の前』をベースに作ったが、ロジカ ルなアプローチをしないことにした。


* 昨日の公演、以前見たと思っていたのは別の作品であったことがわかり、昨日 の作品は見逃す。マレーシアから来たインド系のシャンティに聞いたら、観客席が 部屋の左右に分かれ、その間に二列のテーブル。観客は丁度、ディナーのときに テーブルに列席するように、着席し、俳優はそのテーブルの間を動いたということ らしい。


テーブルに置かれたキャンドルはスカンジナビアでは、ありふれた道具。(カトリック では最後の晩餐のイメージに繋がるが)そこで、ビールを一緒に置く。フレンチバス ケットに入ったパン、オリーブ(スカンジナビアではめずらしい。)

これだけで無意識的に多くの情報が入っている。


ここで突然、ポトラッチの話しになる。
*バルバの話しは、つねに予測しがたく飛躍し、それらが時には繋がり、時には 別々のエレメントとなる。彼の芝居のように、全くモンタージュで、我々は常に面食 らったり、戸惑ったり、ついて行けなくなったり、しつつも徐々に必死で彼の話しに ついて行こうとすれば、その別々のエレメントから、我々の中で新たなイメージを受 け取ることが出きる。勿論、能動的な参加者を前提にしているが、彼の作品も話し も、この企画もバルバに言わせるなら、非常に強いモチベーションとパッションで集 まった連中と言うことらしい。彼には、それ以外の、「ただ通りすぎて行くだけの大 勢の観客」は全く必要ない、とのこと。全くもって同感。こういう場所まではるばる来 てくれる観客、我々の上演には「ヘビー」な観客が二百人居れば、それでよい。こ の観客が重要なのだ、とあとで個人的に会話をしたときに話してくれた。だからフェ スティバルに参加するとか、大劇場で公演するとかいうことに全く興味がないし、呼 ばれても行かない、と言っていた。

北米ブリティッシュコロンビアの部族は、ボートやマスクを作り、他の部族を招い て、それらを破壊する。バルバは南イタリアでも古い風習を見た。

歌舞伎、舞台の背景に三味線などが三十人も並ぶ。四,五人で足りるのではとバ ルバには思えるのだが、これはポトラッチ。

演劇が我々に与えるものは<気晴らし>の特権。

コンティゴス;同じスペースに居るが何の繋がりもない。

『スケルトン』では、ヤンをコンティゴスエレメントとして、登場させた。劇とは何の繋 がりもない存在。…これは時にはドラマティック、コミカル、グロテスクな存在に変わ る。しかし、結局のところ、彼が何なのかわからない、理解できない存在。別の次 元から来た存在。


偶然的な遭遇の場所
未知の、イングマティック?…一部の観客は苛立ち、しかし、他の観客は楽しんだ りする。ロジカルな思考法をする人(ヨーロッパの伝統)に対する兆発。


スコアーについて
ワインは時間が経てば経つほど熟する、美味しくなる。アジアの伝統演劇はワイン の製造に似ている。

同じスコアーを若い俳優と年老いた俳優で演じてみる(アジアの伝統演劇で)。若 い方は外見は力強いが、真の強さは年老いた方が表現。

何故か?彼ら(年老いたほう)は表現(Represent)しようとしていない。

東洋の俳優は小さい頃、スコアーを体得する。そして、二十、三十年後それを使う と<透明>(トランスペアレント)になる。

何故私がオーディン劇団の連中と長くやるのか?それは古いスコアーの断片を改 めて使えるから。かつて作ったスコアーを他のスコアーと相互関連させて繰り返し 使ってみる。

オーディン劇団初期から【うた】を使用。その後、俳優はみな楽器を習い、楽器(演 奏)を劇の中で使うようになった。演劇にとって音楽性はきわめて重要。アジアの 演劇は音楽性を抜きに考えられない。コメディア・デラルテも常に音楽性を含んで いた。

「テレビジョンの登場により結果としてイタリア、デンマーク、イギリスで何が起きた か?人工的な[標準語]により、各地方の環境に応じて生まれた言語(‘方言’)が 排除されてゆく。特にその音楽性を取り払ってしまった。」


参加者からの質問
(今回のオーディンウィークで驚いたのは、バルバが参加者に対して「質問」を許し ていること!)

ラヒド(イラン)
オーディン劇団の俳優は、常に新しいサイン(記号、身体的言語と言う意味か)を 作るため作業しているが…・

バルバ
オーディン劇団の俳優はサインを作るための作業はしていない。身体的リアクショ ンからスペースのトランスフォームへ、をやっているのだ。ダンサーは何故あんな に動くのか?エネルギーの道を作るためだ。スペースと時間とエネルギーは密接 に関連する。

質問
何のために演劇活動をしているのか?

バルバ
生命(人生)の意味は何か?それはただ一つ。それを維持するためにある。細胞 は人生/生命の意味など考えずに活動している。たった一つの目的のため。それ はそれ自身の生命活動を維持すること。

オーディン劇団の俳優・・・アブソルートを繰り返す…・・丹念に精巧化してゆく…・テ クストとのリンクを構築する。

ラヒド(イラン)の質問
宗教と演劇の関係は?

バルバ
カタカリは寺院に属する。宗教的ストーリーを語る。十歳からカタカリを教える学校 に児童は入れられる。宗教的聖者に成るためか?ノー、良い俳優を育てるため だ。

演劇は長い間、検閲やら何やらでフィクション(虚構)化を余儀なくされてきた。この 虚構化の中にリアリティーを生じさせる方法を磨いてきたのが演劇の歴史。


* ラヒドから後で個人的に聞いた話し;イランにはSABOVという伝統芸能がある。 イスラム教と関連したものだが、その中で使用されるサイン(姿形)にはそれぞれ 意味があるとのこと。カタカリのプラガ(手のサイン)と同様。


18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: The Castle of Holstebro II (performance)

演劇人類学へ

3月15日(木)
Thursday 15/3
8.00 - 10.00: Training
*昨日の疲れがあって、朝の訓練は欠席する。バルバへのインタビューの内容検 討の時間も必要。

10.00 - 10.30: Break
10.30 - 12.00: Dialogue between Two Actors (work dem.)

バルバへのインタビューのポイントを絞り込む。
*後に聞いた話しでは、このセッションはオーディンの方法をどう古典に応用でき るかと言う点で興味深かった、とのこと。

テクストはイプセンの『人形の家』を使用したらしい。ラストの妻が去るシーン。


12.00 - 13.00: Lunch break and cleaning of the theatre
バルバの部屋で話しをする。後、インタビュー。


13.30 - 14.30: The Dead Brother (work dem.)
14.30 - 15.00: Break
15.00 - 16.30 The Odin Tradition - Torgeir Wethal

トルゲ―の話し
―違った人々、違った関心のなかでオーディンが何故サバイバルできたか?
ノルディックラボラトリーは我々の個人作業の「傘」だ。



16.30 - 18.00: Meeting with Eugenio Barba

バルバの話し
―みんなかなり疲れを感じていると思う。「疲れ」は西欧社会の敵。だが、あなた方 の「疲れ」はイリュージョン(笑)」

―我々には共通言語がなかった。そのため、テクストに全面的に任せることは出 来なかった。何人かの俳優はデンマーク語が話せなくはなかったが、それで劇作 に基づく演劇を作ることは無理があった。

―当時、ホルステブローは8,000人の町。ここでパフォーマンスをしてその後、デ ンマーク各地を回る。

―このラボラトリーのスペースは10m*15mが一つだけだった。スカンジナビア のどの学校も教室は同じサイズ。だからこのスペースのサイズで作った作品はどこ の学校でも上演できた。1966年、我々は教師のネットワークと接触があった。経 済的な理由からそのネットワークを通じて活動。」

―オーディン劇団は他のネットワークも持っていた。驚くべきことだが、オールタナ ティブなスペースで上演できる団体1966年頃はなかった。そのため、オールタナ ティブネットワークを作ることが出来た。

―五十人の確実な[ヘビースペクテイター]が大切なのだ、とその頃のオーディン劇 団は考えていた。

―我々はフランスで上演したが、その時、フランスのオフィシャルな演劇、批評家 からは「デジャブ」と呼ばれた。何故なら、我々の劇は「ファッショナブル」ではなか ったからだ。


―大都市はジャングルのような場所。あらゆることが起きる。ジャーナリストはいつ も新しいファッショナブルなものを求め人々に提供する。そういう情報の循環構造 が出来あがっている。

―1965、66年頃、オーディン劇団のような奇妙な劇団はなかった。当時、三十歳 だったイタリアの批評家フランコはNYで『パラダイスナウ』を見た後、オーディンを 見た。彼はオーディン劇団のイタリアツアーをオルガナイズした。彼はそれで相当 お金を失ったようだ(笑)

―我々は、当時作品を一つ作るのにどのくらいの期間がかかるか予測できなかっ た。一年かかるか、二年かかるか…・。当時、プロデュースシステムは全てスケジ ュールがフィックスされていて、いつ作品になるかわからない我々のような活動方 法だと、どう収入を得れば良いのかわからなかった。

―私は屋根があって、玄関入ったらそこに本があればいい。そんな原始的な人生 に満足。お金は必要だけど、お金のために演劇をしているわけではない。

―1970年代にラテンアメリかに何度も行った。そこに行ったのは、ラテンアメリカ の演劇人立ちと知り合うことになったから(欧州で)。フランスにも同時に行きたいと 思っていた。

―我々は旅を続けた。旅は大切だった。「孤立」していない、というフィーリングが 持てた。我々は、旅をすることで、遠いところに居る「友」とまた会えることが出き る。

―西欧の演劇人には特権がある。演劇で何をしても危険がない。当時のラテンア メリカは演劇人が投獄されたり、拷問を受けたり、タイヘンな状況だった。ラテンア メリカの演劇は社会、政治に深く関与していたが、我々は政治より、演劇自体につ いて語った。そのため、ラテンアメリカの多くの演劇人は我々に反発した。

―我々は、接触するだけでなく、共同でたくさんの上演を行った。これは【バータ ー】へとつながって行く。

―知らないところ、つまりコンテクストが未知のところへ行くとき、この共同創作は、 分離したものが合体できる可能性を教えてくれた。

―この時期は[熱い季節]ラテンアメリカでは、西欧からやってきたと言うだけで、 「文化帝国主義者」に対するようなある種の強いリアクションが見られた。


いかに自分たちの演劇に客観性を持たせるか、が<演劇人類学 >へと駆りたてた。

―演劇は文化的アイデンティティーを表現するべき、とよく語られる。が最も危険な ことだと思う。ムッソリーニはイタリアのアイデンティティーということを最も強調し た。

―私は、文化的アイデンティティーというレベルではなく、ニュートラルなポジション で異なる文化の「対話」ができないだろうか、と考えていた。その頃、ユネスコの依 頼で、「シアター・オブ・ネイションズ」(ITI主催)で「第三演劇(グループシアター)の 出会」という企画を三年行った。この情報をユネスコの雑誌で知ったドイツのオル ガナイザーが知って、この主の企画をオルガナイズするよう相談を持ちかけられ た。たびたびミーティングを行ったが、私は「第三演劇の出会い」のようなことはもう やりたくないと言って、その頃すでに接触の会ったアジアの伝統演劇を入れること を提案した。しかし、お金が掛かりすぎ無理だと思っていた。がある日突然、ドイツ のオルガナイザーからお金を入手したと連絡が入った。その頃、こうした企画でラ インアップされるのは、ダリオ・フォーとかマイムとか欧米のものばかり。私はアジ アの伝統演劇のマスターたちを呼ぶことにした。

―当時、私だけでなく、多くの(西欧の)演劇人は、能、狂言、北京オペラ…といっ た伝統演劇に惹かれていた。

―ということでISTAはスタートしたのだが、そこで私は何をすればよいのか?私は アジアから来たマスターたちに、初めて修業をし始めた最初の三、四日間どういう ことをしたか、を実演してもらった。

―日本の吾妻勝子は正座によるお辞儀(日舞の踊る前の礼)をした。みな、びっく りした。何も表現していない。しかし、他の西欧の参加者が真似をしたら[じゃがい も]みたい。彼女のお辞儀と根本的に何かが大きく違う。このシンプルなフォルム に多くの情報が入っていることに気がついた。

―リアリティーを持つ(エネルギー)メカニカル・ビヘイビャー。これをあらゆる動き に取り入れてみる。

プラネットライフ(地球的生活?)の解剖学。

―「抱擁」の例を考える。舞台と日常、どこか違うか?日常では、私は「この人」と 抱擁する。ほんの一人に対しての行動。舞台ではどうか?多くの観客に情報を伝 えなければならない。

―1980年、ISTAをスタートさせたとき、名称を考えた。ここの施設の名称は「シアタ ―ラボラトリー」(何故なら「学校」という言葉も内容も嫌いだから)。インターナショ ナルはいい。「学校」は嫌いだが、誰かがそれで良いと言ったので受け入れた。そ してアンソロポロジー(人類学)と言う名称が思いついた。(ISTAの名称は、1980 年、日本で利賀村に鈴木忠志を尋ねに行く列車の車中で思いついた、と彼の著作 の中では説明)

では何が、<演劇人類学>か?
―何が、はわからない。が、どうリサーチするかは知っている。

バルバ、観客からの質問を受ける。
質問
東洋の伝統演劇を見て、すばらしいと感じたことがあるが、どうしてか?

バルバ
東洋の伝統演劇は様々なひらめきを思いつかせるパワーに満ちている。あなたを 触発する力を持っている。だが、小さい頃から訓練をしていないとだめ。成人して から俳優訓練をスタートするヨーロッパの俳優はそれを決してコピーできない。


18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: Itsi Bitsi (performance)

状態の変化のドラマトゥルギー

3月16日(金)
Friday 16/3
8.00 - 10.00: The Odin Tradition - Julia Varley

ジュリアの話し
―オーディン劇団の「伝統」は、そこにいる人々みなで作られたものだと、この数日 間の体験でわかったと思います。違った人々がここに集まり、それぞれのパーソナ リティー(個々人の主体)に基づいて作ったものです。

―私は、『マグダリア・プロジェクト』というのを1986年から始めました。世界各地 を回って出来た女性のネットワークで、雑誌を出しています。初めて作ったときは、 すごく時間がかかって、作業もタイヘンでしたが、何とか出版にこぎつけました。毎 年一月にそのプロジェクトをここで行います。そのことに関するミーティングを今 夜、行いますので希望者は参加してください」

エクササイズ
声…・からだ、手を動かし、様々な方向から空気を集める。

足、足の指を外側、内側交互に力を入れてみる。膝は固定せず、しなやかに動か す。常に膝は少し曲げている。「シィー」という音で腕を下げる。息を吐き出す。手 は手首を返して指先は伸ばす。

二人で手を合わせてやってみる。

目、口を大きく開いて「ラ」の音で、腕を上げ、翼のように大きくはばたかせてやっ てみる。

「エヌ・エム・ニュ」の音を使ってみる。

「ムー」唇を閉じて音を出してみる。

V・B・Z「ヴイ・ビ・ズー」をつなげて出してみる(ハエの音みたいになる)

唇を震わせて音を出す。

水を尾躰骨に落とすようにからだを上下に振動させて、「ハ・ハ・ハ…・」一度バン ザイして手を上に広げ、それからやってみる。


普通、動きは言葉に従属する(たとえば首をふる、話しながら手を動かす)。が、逆 に動きに言葉をつけてみるとどうか?

A、まず歩く、目を大きく開け、気持ちをオープンにしてスペースを感じる。
歩きは、演技せず、ノーマルに。歩き出してから、それぞれ任意の台詞を言ってみ る。

B、歩き+スキップ

C、ジャンプ

D、スローモーション

全てのウォーキング、動きの瞬間の形を見、楽しむ。歩きをスローにしたら言葉も スローにしてみる。

二人で。相手を背負う。相手は「死体」ではない。

言葉を使用する。相手の体重がかかると即座に声が変わる。だから最初の発語 の仕方はニュートラルに色をつけない。

相手を背負い、あるいは抱きかかえ、乗せて二人で発語してみる。

今度は一人で発語してみる。

*<身体の記憶>を使うと言うことか。心理的記憶と大分異なる。
装う、フォルムを作るのではなく、<芯>をキープする。たとえ相手の体重がかか らなくても、その記憶に基づいて筋肉を動かしてみる。自分でコントロールしてみ る。ふだん使わない筋肉を動員して、発語してみる。と言うことだと思う。

* 声がアクト(先に動き出す)のではなく、声がリアクト(応じて動く)する。狂言の笑 い、がこの方法例。


二人、手を合わせ向かい合い、押し引きし合う(抵抗を与える)。

大きな声を出すのに使うエネルギーで、今度は同じエネルギーで声は小さくしてみ る。

相手とともに動き、距離を変え移動する方向を変えつつ発語する。相手はたえず 離さない。

インプロで言葉を言う。二人一組、一方は話す、一方は聞く。

「あらかじめ用意したテクストを使うのと、インプロでは何が違う?」とジュリアから 参加者に質問。

参加者:
自分自身にとらわれる。何を話すか考えている自分、とそれを相手に向けて話そう とする自分の分離が起きる。

参加者:
テクストには、話す意味、理由がない。何故それを相手に言う必要があるのか、考 えてしまう。

「身体がナチュラル、だと言葉に従ってしまう(からだは各人が抱える文化に植民 地化されている)」

「声を状況にプット・インせよ」。声をリアクションさせるということ。

* 言葉と身体の従属関係をいったん逆転させてみるということ。

「我慢、忍耐を持って、思考を構築せよ。そこから新しい方向が出てくる。きっと四 年後、五年後には。だから忍耐を持って続けてみることが肝心」

*どのような訓練も、底にあるものが深ければ深いほど、やっているときはわから ないもの。伝統演劇が強いのは、意味がある、ないを判断できる前に、半ば強制 的に訓練を受けさせられてしまうことだ。五歳くらいから十年やる。十五歳くらいで 疑問を持ち、やめたくなる。しかし、すでにその頃には意識の深いところで次第に 理解が始まっているから、やっていることの意味、をその深さに相当して理解しは じめる。更に二十年くらい経ち、二十代半ばには、本当の理解と興味が沸いてく る。しかし、現代演劇は、成人して、社会や環境との関係に対する一つの態度とし て、つまり表現したい何かがあって始める。だから、表現を達成するための基盤を 構築するより、結果としての表現を早くやりたいと思う。結果としての表現されたも のは、年齢や環境の変化とともに変わって行くが、その基盤となるものが充分形成 されていないから、表現の多くを劇作家や演出家の思考にゆだね、劇作や演出が 表現するものに多くをゆだねなければならない。演技者自身の表現の力のウェー トは低くなる。それでも成り立つ。劇作にはストーリー、プロットがあり、演出は多く の翻訳をして観客を楽しませるのだから。だが、これでは演技者による創造、の程 度は当然舞台から観客に向かう情報のごく限られた一部に過ぎないことも事実 だ。


参加者からの質問:
「頭」を忘れるにはどうしたらいい?

ジュリア:
ダンス、音楽はいいかも。

質問:
筋肉をリラックスさせるエクササイズとしてはどういうものが良いか?

ジュリア:
あくびとスマイルはどうか。声をかたい出し方から出してみる。「う、う、う…」とか。 徐々に伸ばし緩め、「はあーーーあーあーあー…」と首、のどをゆるめて出してみ る。

* ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ音がよい。カキクは鋭くなり緊張も発声に必要。ニャ、ニュ、ニ ョではまた感じが違う。音で言葉の色合いが違ってくる。

ジュリア:
今日これが正しく、明日別のことが正しい、そういうものだ。だから、とにかく続けて みること。続けること自体に多くの可能性が含まれている。突然、何か出てくるの は「続けている」から。

10.00 - 10.30: Break
*三十分のブレイクは実にありがたい。みな疲れのピークに。朝早くから(起床は 6時半頃になる)夜10時に公演終了、その後、多くは他の国の人間たちとその日 の事や互いのやっていることなどを語り合ったりして、みな寝るのは1時、2時。さ すがに疲労も極に達する。

10.30 - 12.30: Vincent Van Gakk (clown performance)
小学校四年生くらいの児童がラボラトリーの劇場にすでに沢山来ている。そこに 我々も一緒する。

ヤンとクラウンを演じる女優(オーディン劇団のメンバーではない)によるクラウン。 子供たちに大いに受ける。

子供たち、歌をみなで歌う。変わりにオーディン・ウィークの参加者たち、フランス のエクササイズで組み立てた、歌のパフォーマンスを子供たちに。これは一種のバ ーター(交換)である。


12.30 - 13.30: Lunch break and cleaning of the theatre
13.30 . 14.30: Meeting with Eugenio Barba

バルバの話し。
状態の変化のドラマツルギー。
―いかに、複合性とリアリティを構築することができるか。

バルバ、参加者から何かテーマを出してもらう。舞台上、上手側と下手側にイスが 四つ。

テーマ「男は後ろに壁がないことを知っている」

テーマについて。ストーリーや主題をイラストするようなテーマは選ばない。詩とか 絵画のようなものを選ぶ。「禅」のような、意味のないもの。情報を注意深く選ぶ。 関係が意味を作る。

con-fuse=melt
からだのタナスへ、移行、変容させる。

In-ner information
ダンスと呼ばれるもの、演劇と呼ばれるもののルーツ。バイオス、エッセンス、ダイ ナミックス、オルガニックな流れ。

バルバ、俳優らと音楽を加えてインプロ。

―これはシアターではない。一種のセラピーのようなもの。インプロは個人作業で 行われる。この時点では主観的なものである。

次に相手の動きも念頭に置く。いかに相手のアクションを使うか。ダイアローグの ように。

演出は俳優がストーリーをなぞるのではなく「何がエッセンス、何をしているか」を 守る役を果たさなければならない。



14.30 Visit to the town
18.15: The bus leaves Odin Teatret for supper
18.30: Supper at the Aktivitets Center
19.30: The bus leaves the Aktivitets Center
20.00: White as Jasmin (performance

アジア演劇の影響

3月18日(日)
Sunday 18/3
Departure

朝、今日は八時にオーディンのラボラトリーに行く必要はないが、一週間の規則正 しい生活が、早起きをさせる。規則正しい、というのは始めは苦しいが、時期を越 えると、身体がそれに対応してくるものだ。

ロイヤルホテルで朝食を取る。ラトビアから来た**とマンチェスターのジェーンと 同席。

デシィプリン(訓練と訳するより、オーディンの場合、鍛錬というほうがニュアンスと して正しいだろう)について。

ベルギー、ブルッセルから来た研究者曰く、オーディンは初期から変わらぬ姿勢で いる。ここに惹かれる。一本の道をまっすぐ進んできたこと。彼らが教えたことはシ ンプル。人生=創造=態度。これが一貫していることだ。

それらが彼らの必要性から出ている。そして全ての活動、動きがこの最小限の必 要性から発し、それを超えない。

毎日八時から始まり、ほぼ同じ時間に訓練、食事、パフォーマンスを見る。一週間 だけだが、これはずいぶん気持ちをすがすがしくさせてくれるものだ。勿論、内容 が演劇で、しかも関心のある演劇だからだろうし、そのプログラミングも実によく出 来ている。「繰り返し」が持つ力、それが支える集中力、それが生み出す精神のシ ンプリシティー、そういったものがこのすがすがしさを生み出す原動力、と言えよ う。

市内は日曜日で殆どの店が開いていない。さすがデンマークの田舎。たまたま一 軒開いていたトルコ料理の店に入る。トルコ系らしい店員が親しげに話し掛けてく る。日本人はめずらしいのだろう。トルコ人に追われたクルド人だという。命からが らオランダに亡命し、そこで働き、いまはここデンマークでアルバイトをしていると か。たくましいなあ、というかやむを得ない事情なのだ。


夜九時、静かな夜。デンマークの田舎町の日曜日は人も少なく、店も開いていな い。ホルステブロー駅前のクラベスホテルに宿を変える。一泊250クローネ(3,7 50円)、部屋にはバスはなく、手洗い洗面のみ。電話もない。ロイヤルホテル(シ ングル一泊850クローネ)に比べ格段と落ちるが、ホテルの人は上品な感じ。他 の国だとホテルの格が落ちると、ホテルの人間の態度まで、品がなくなるのだが、 さすがデンマーク。デンマークの発達した社会の一端を見る。オランダと感じは違 う。田舎のせいかもしれないが、人々の雰囲気が確かに違う。インドネシアに植民 地を持ち、お金を動かすことで生きてきたオランダ人、と農業を基盤に植民地を持 つこともなく、着実に豊かな社会を築いてきたデンマークとはやはり違う。  


インドネシアを植民化したことが、オランダ人の「不幸」。「潜在的傲慢さ」が染みつ いて離れない。インドネシア、スリナムからの大勢の移民達による国内「第三世界」 の存在ゆえ今も消えないでいる記憶の痕跡。それゆえ消えない「白人優位」思考。 前世紀意識、欧米優越思考から、芯の深いところでは、いまだ脱皮していない。彼 らの「独善」思考を許している。それを自覚できない「不幸」が彼らを駄目にしてい る。

また、デンマーク人は、基本的に精神の根源に巣食う「白人優越思想」は変わらな いだろうが、オランダ人のような「けち臭さ」がない分、気品はある。


3月19日(月)
ホルステブロー駅前にある宿泊ホテルの前のバス停でオーディンのラボラトリー行 きのバスを待つ。そこで待っていた褐色の肌の女の子と雑談。23年ここに住むと いう。父はモロッコ人、母はフランス人の混血。アイススケートをやっていた。いま の仕事は看護助手。将来ツーリストアドバイザーになりたい。ここで親しく話し掛け てきた人はあなたが初めてという。自分もデンマーク人はあまり人なつっこくない、 というか無愛想だと思うと言うと「何故ならあなたの肌の色のせいよ」と私の顔をさ す。彼女は、そう思ってここで生きてきたんだな、と知らされる。肌の色だけでなく、 デンマーク人やドイツ人、オランダ人らはラテン系と違って取っ付きにくさがあるだ けのこととも思うが、目に見えない差別がそれとなく「無視」するということで表現さ れているのかもしれない。日本でも「無視」は「いじめ」行為の代表例なくらいだか ら。人は自分より弱いもの、下のものを持ちたがる。これが差別の根本構造。その 口実として肌の色だったり、背の高さだったり、が機能してくるわけだ。
 

ホルステブローのラボラトリー、ルーム・クロサワで舞踏のビデオを見る。

[消えることの出来る芯を持ったからだ]

歪んでも美しい、肉体に対して清潔な態度。肉体は棲んでいるものによって支えら れている。間、に働いてもらう。そのための肉体・・・・。

合田成男 
「我々の50%はわからない(暗黒)。そこのところに持ってゆく」

和栗 
何度も生まれ変わる。種、土方から学んだもの。はじめに「けだもの」になる。

唐十朗 
日常 堕胎、流産した身振り。  人間/動物→へんな生き物・・人間も変な生き 物。
人間は一番「人間」という形をしていないんじゃないか。土方さんのところに三年。 日常の生活、全部が踊りであった。

田中ミン 
分からないほどすばらしいものはない。

中島夏 
踊りと人生は切り離せない。今は舞踊とはこだわらない。自分自身を表現する道を 探していく。

大須賀 
体内における記憶がよみがえってくるものが舞踏。広島で生まれた母親の体内に いるとき被爆。それを覚えている。

蛭田 
インドネシアへ行ったとき、自分の「ふるさと」に来たと感じた。

劇場:形だけヨーロッパスタイルの劇場。
芦川 
からだのシン、鍛えるとどんどん細くなって髪の毛くらいになる。
「黙っていて、言いたいこと一杯ある」・・・叫び、人間の大きなドラマというのは生ま れて死ぬということ。舞踏はそれを表現できる。

3月20日(火)
午前中市内散歩。カフェを探して一時間町中を探すが、どこも開いてない。結局、 町外れ、商店街のはずれにあった大きなスーパーの中のカフェに落ち着く。近くに 上品な感じの東洋系の女の子、どう見ても中国人ではない。服のセンスとか物腰と か。育ちのよさそうな感じ、すごく以外で話し掛けてみる。こんなデンマークの田舎 町にまさか日本人が、という驚きもあって。

彼女はやはり日本人。不思議な感じがする。ここで会うのが。聞くと、オランダのロ イヤルコンセルバトリーで舞踊を勉強しているとか。またまた偶然。ここのミュージ ックシアターで行なわれるオーディションを受けにきたという。こういう子がいること にあらためて感銘した。朝、アムステルダムを出て、飛行機でコペンハーゲンに。 そして列車で今着いたそうだ。今日、オーディションを受けたら、夕方日帰りでアム ステルダムへ帰るそうだ。二年前ローザンヌのバレエコンクールで入賞し奨学金を 得てこちらの学校に来たとか。日本には舞踊学校がないので(個人のスタジオし か)学校が終わってからバレエ教室に通うという形になる。社会的に芸術活動が認 知されていない、という彼女も強く感じているようだ。高一の時、入賞だから、いま は高三つまり十八才なのか。すばらしい。しかし、彼女が日本に帰っても日本では その経験、能力を十分生かせる場はないのだろう。できればヨーロッパで仕事をし てゆきたいと言っていた。名前は神戸里奈さん。


3月21日(水)
午前中、ホルステブロー駅前のホテルをチェックアウトし、バスでラボラトリーへ行 く。バルバと会話。ISTAジャパンをやりたい、勿論夢だが、と伝える。


帰国してから、まず自分自身の態勢、活動基盤をしっかり再構築すること。そこか ら一歩ずつ、少しずつ手に届く範囲で動き出し、いつか実現しようと、心に誓う。


*ロベルタの来日記録 1970(9?)、1987、2000(大阪)

ヨーロッパとアジア

3月18日(日)
Sunday 18/3
Departure

朝、今日は八時にオーディンのラボラトリーに行く必要はないが、一週間の規則正 しい生活が、早起きをさせる。規則正しい、というのは始めは苦しいが、時期を越 えると、身体がそれに対応してくるものだ。

ロイヤルホテルで朝食を取る。ラトビアから来た**とマンチェスターのジェーンと 同席。

デシィプリン(訓練と訳するより、オーディンの場合、鍛錬というほうがニュアンスと して正しいだろう)について。

ベルギー、ブルッセルから来た研究者曰く、オーディンは初期から変わらぬ姿勢で いる。ここに惹かれる。一本の道をまっすぐ進んできたこと。彼らが教えたことはシ ンプル。人生=創造=態度。これが一貫していることだ。

それらが彼らの必要性から出ている。そして全ての活動、動きがこの最小限の必 要性から発し、それを超えない。

毎日八時から始まり、ほぼ同じ時間に訓練、食事、パフォーマンスを見る。一週間 だけだが、これはずいぶん気持ちをすがすがしくさせてくれるものだ。勿論、内容 が演劇で、しかも関心のある演劇だからだろうし、そのプログラミングも実によく出 来ている。「繰り返し」が持つ力、それが支える集中力、それが生み出す精神のシ ンプリシティー、そういったものがこのすがすがしさを生み出す原動力、と言えよ う。

市内は日曜日で殆どの店が開いていない。さすがデンマークの田舎。たまたま一 軒開いていたトルコ料理の店に入る。トルコ系らしい店員が親しげに話し掛けてく る。日本人はめずらしいのだろう。トルコ人に追われたクルド人だという。命からが らオランダに亡命し、そこで働き、いまはここデンマークでアルバイトをしていると か。たくましいなあ、というかやむを得ない事情なのだ。


夜九時、静かな夜。デンマークの田舎町の日曜日は人も少なく、店も開いていな い。ホルステブロー駅前のクラベスホテルに宿を変える。一泊250クローネ(3,7 50円)、部屋にはバスはなく、手洗い洗面のみ。電話もない。ロイヤルホテル(シ ングル一泊850クローネ)に比べ格段と落ちるが、ホテルの人は上品な感じ。他 の国だとホテルの格が落ちると、ホテルの人間の態度まで、品がなくなるのだが、 さすがデンマーク。デンマークの発達した社会の一端を見る。オランダと感じは違 う。田舎のせいかもしれないが、人々の雰囲気が確かに違う。インドネシアに植民 地を持ち、お金を動かすことで生きてきたオランダ人、と農業を基盤に植民地を持 つこともなく、着実に豊かな社会を築いてきたデンマークとはやはり違う。  


インドネシアを植民化したことが、オランダ人の「不幸」。「潜在的傲慢さ」が染みつ いて離れない。インドネシア、スリナムからの大勢の移民達による国内「第三世界」 の存在ゆえ今も消えないでいる記憶の痕跡。それゆえ消えない「白人優位」思考。 前世紀意識、欧米優越思考から、芯の深いところでは、いまだ脱皮していない。彼 らの「独善」思考を許している。それを自覚できない「不幸」が彼らを駄目にしてい る。

また、デンマーク人は、基本的に精神の根源に巣食う「白人優越思想」は変わらな いだろうが、オランダ人のような「けち臭さ」がない分、気品はある。


3月19日(月)
ホルステブロー駅前にある宿泊ホテルの前のバス停でオーディンのラボラトリー行 きのバスを待つ。そこで待っていた褐色の肌の女の子と雑談。23年ここに住むと いう。父はモロッコ人、母はフランス人の混血。アイススケートをやっていた。いま の仕事は看護助手。将来ツーリストアドバイザーになりたい。ここで親しく話し掛け てきた人はあなたが初めてという。自分もデンマーク人はあまり人なつっこくない、 というか無愛想だと思うと言うと「何故ならあなたの肌の色のせいよ」と私の顔をさ す。彼女は、そう思ってここで生きてきたんだな、と知らされる。肌の色だけでなく、 デンマーク人やドイツ人、オランダ人らはラテン系と違って取っ付きにくさがあるだ けのこととも思うが、目に見えない差別がそれとなく「無視」するということで表現さ れているのかもしれない。日本でも「無視」は「いじめ」行為の代表例なくらいだか ら。人は自分より弱いもの、下のものを持ちたがる。これが差別の根本構造。その 口実として肌の色だったり、背の高さだったり、が機能してくるわけだ。
 

ホルステブローのラボラトリー、ルーム・クロサワで舞踏のビデオを見る。

[消えることの出来る芯を持ったからだ]

歪んでも美しい、肉体に対して清潔な態度。肉体は棲んでいるものによって支えら れている。間、に働いてもらう。そのための肉体・・・・。

合田成男 
「我々の50%はわからない(暗黒)。そこのところに持ってゆく」

和栗 
何度も生まれ変わる。種、土方から学んだもの。はじめに「けだもの」になる。

唐十朗 
日常 堕胎、流産した身振り。  人間/動物→へんな生き物・・人間も変な生き 物。
人間は一番「人間」という形をしていないんじゃないか。土方さんのところに三年。 日常の生活、全部が踊りであった。

田中ミン 
分からないほどすばらしいものはない。

中島夏 
踊りと人生は切り離せない。今は舞踊とはこだわらない。自分自身を表現する道を 探していく。

大須賀 
体内における記憶がよみがえってくるものが舞踏。広島で生まれた母親の体内に いるとき被爆。それを覚えている。

蛭田 
インドネシアへ行ったとき、自分の「ふるさと」に来たと感じた。

劇場:形だけヨーロッパスタイルの劇場。
芦川 
からだのシン、鍛えるとどんどん細くなって髪の毛くらいになる。
「黙っていて、言いたいこと一杯ある」・・・叫び、人間の大きなドラマというのは生ま れて死ぬということ。舞踏はそれを表現できる。

3月20日(火)
午前中市内散歩。カフェを探して一時間町中を探すが、どこも開いてない。結局、 町外れ、商店街のはずれにあった大きなスーパーの中のカフェに落ち着く。近くに 上品な感じの東洋系の女の子、どう見ても中国人ではない。服のセンスとか物腰と か。育ちのよさそうな感じ、すごく以外で話し掛けてみる。こんなデンマークの田舎 町にまさか日本人が、という驚きもあって。

彼女はやはり日本人。不思議な感じがする。ここで会うのが。聞くと、オランダのロ イヤルコンセルバトリーで舞踊を勉強しているとか。またまた偶然。ここのミュージ ックシアターで行なわれるオーディションを受けにきたという。こういう子がいること にあらためて感銘した。朝、アムステルダムを出て、飛行機でコペンハーゲンに。 そして列車で今着いたそうだ。今日、オーディションを受けたら、夕方日帰りでアム ステルダムへ帰るそうだ。二年前ローザンヌのバレエコンクールで入賞し奨学金を 得てこちらの学校に来たとか。日本には舞踊学校がないので(個人のスタジオし か)学校が終わってからバレエ教室に通うという形になる。社会的に芸術活動が認 知されていない、という彼女も強く感じているようだ。高一の時、入賞だから、いま は高三つまり十八才なのか。すばらしい。しかし、彼女が日本に帰っても日本では その経験、能力を十分生かせる場はないのだろう。できればヨーロッパで仕事をし てゆきたいと言っていた。名前は神戸里奈さん。


3月21日(水)
午前中、ホルステブロー駅前のホテルをチェックアウトし、バスでラボラトリーへ行 く。バルバと会話。ISTAジャパンをやりたい、勿論夢だが、と伝える。


帰国してから、まず自分自身の態勢、活動基盤をしっかり再構築すること。そこか ら一歩ずつ、少しずつ手に届く範囲で動き出し、いつか実現しようと、心に誓う。


*ロベルタの来日記録 1970(9?)、1987、2000(大阪)



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