[試演会全体の感想]
今回の試演会、正直なところ自分は余りモノプレイを創るための時間を作るこ
とが出来ずに臨んでしまった。
そして、自分の発表が一番最後だったこともあり、自分はどんな作品を創る事
がベストかを考えながら他の人たちの作品を観る形になった。
試演会でのモノプレイというのは、極めて間口の広い表現手段だと思う。自分
自身による創作では、生み出される作品は自己の内面に退行して行ってしま
う事がよくあると思うのだが、今回の試演会でも幾つかの作品にその片鱗を
感じた。
それ自体が、良い事なのか悪い事なのかは分からないが、少しでも自分自身
を良く見せようと自己愛的なものが意識的か無意識かにしろ少しでも感じられ
た作品に関しては、演者の優れている点よりも、むしろ弱い部分が目に付い
た。
表現をするということは、自分自身の見せたいところ以外、自分自身の至らな
いところまでもが人目に触れるのだと言う、表現の恐ろしさを再認識した。
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[合宿の感想]
今回はみんなより一日少ない合宿ではあったのですが、私にはとても濃厚な
時間でした。
まずはWS。普段なかなかできない方々とのサークル等、新鮮さや力強さ、個
性を感じ、空気をよめず自分に苛立ちを感じながらもどこかで楽しんでいまし
た。
あれだけ広い場所で一斉にサークルをやると面白い空気になるなぁ…と思い
ました。
そして一番面白くてスゴイと思ったのは高校生!モノプレイでもそうですが彼
女達のパワーと感性には本当に驚かされました。彼女達の純粋に何かを伝
えようとする真っすぐな気持ちや表現には何かドキッとさせられました。
一緒にやってみてもすぐに何かを感じ取り実践する。。。知らないうちに私に
は無くなってしまっていたなと感じました。逆に私の方が学ばせて貰いました。
モノプレイでは去年と違い自分以外16人の個性を見て、まさに十人十色。言
葉から伝わる思いや見た目ではなくて体から伝わってくる思い等その人ならで
はの表現が面白かったのですが逆に全く違ったその人を見てみたいと思う人
もいました。
[自分のモノプレイに関して]
何も言えません。。。伝えようとするよりはただやりたかったようにしかできて
いない、と言うか、何がやりたかったのかもわからない感じになってしまったと
思います。もっと言葉を大切にすべきだしメディアと言う人物をもっと知るべき
だと思いました。
そしてそれをただ表現だけするのではなくどう表現するのか、考えるべきだと
思いました。
最後に思った事は、"継続は力なり"だなと言う事です。
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今回は、一昨年に続いて2回目の合宿参加になりました。
第1回目は,ワークショップに入って1年目で、まだ5ヶ月しか経っていない時期
の参加でした。それでも、演劇の世界には、研修目的で、訓練道場が備わっ
ているのは素晴らしいことだと、感心したものです。が参加して分かった事
は、合宿と言っても、難行苦行の道場で、いやでも裸の自分の内側を覗き込
んで向き合う、あぶら汗の出る苦しい合宿でしたので、第2回目の今回は、温
泉もリゾート気分もない、多少、勝手の分かった、覚悟の参加でした。
土曜日の夜のワークショップから参加して、日曜の午前中のワークショップと
午後の試演会の立会いに参加しました。
ファリファリと発語訓練での、身体の最近の反応は、丹田に近いところから声
が出ていて、上体のりきみが抜けていると感じるときは、身体の節々の関節、
特に肩と肘にピリピリと振動のシビレを感じます。
声が口の前方からでなく、奥歯の辺りから出て、唾がとぶようなときには余計
に関節が反応します。
2日間の連続ワークショップの翌日は気分が爽快で、心の奥底部分に、なに
やら勇気みたいな、なんとも形容しがたいエネルギーが宿って、はらんでいる
充実感を感じます。
ファリファリには、人間の身体と心に、安定と穏やかを生み出す何かが内在し
ています。
不安に満ち満ちて、落ち着きのない今の社会にとっては、必要な心理面の基
礎の1つ
であるような気がしています。
今回は約40名が合宿に参加しましたが、一人一人は、外見は静かで、内面
では、自分と向き合あって、苦しけれども充実した顔つきをしていました。この
様な、顔相の若者は街ではめったに見られなくなりました。みんないい顔をし
ていました。部屋では、本を読んだり、試演会のセリフを思い出したりしている
人の顔は凛凛しい。こんな仲間と2日間があったことは、得がたい体験をさせ
て頂きました。
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